2016年12月30日

浦上四番崩れC

かわった明治新政府は
神道を中心に天皇政治を目指したため、
キリシタンに対しては迫害の手をゆるめるどころか、
ますます厳しくなりました。
そのため、キリシタンへの迫害と弾圧は外交上の問題となりました。
明治6年、すなたち1873年になってやっとこの問題は解決し、
キリストを信じることが認められたのです。
しかしそのためには
「浦上四番崩れと言われている明治政府による
キリシタン弾圧の中での
厳しい迫害と殉教を通過しなければならなかったのです。

2016年12月28日

浦上四番崩れB

その結果、浦上のキリシタンたちはついに捕らえられ、牢に入れられてしまいました。
まず指導者の68人が最初に捕まりました。
そしてこの問題を解決できぬまま、
江戸幕府は倒れてしまうのです。

2016年12月27日

浦上四番崩れA

「ワタシノムネアナタノトオナジ」
この言葉をもって復活したキリシタンたちは、
うれしくてたまりません。
それまで隠れて待ち続けてきたキリシタンたちは、
毎日のように天主堂に通い、
熱心に祈り、
御言葉を学びました。
けれどもまだ、
日本はキリスト教を禁止していたのです。

2016年12月26日

浦上四番崩れ@

今月から浦上四番崩れについて書いていきたいと思いますが、
その前にいままでに書いてきたことを簡単にまとめておきます。
 激しい迫害の中で潜伏したキリシタンたちは、
バスチャンの残した予告を信じ7代250年の間、
告白を聞いてくれる神父が来るのを待ち続けていました。
そして予告どおり、
7代250年たったときに、
神父がついにやってきました。

2016年12月25日

さらに迫害の後B

来月からこの浦上四番崩れに関して
詳しく見ていきたいと思います。
私たちはいまこんなにも自由にキリストを
信じることができますが、
それは彼らの迫害の中での主への従順と
その結果もたらされた尊い殉教の上にあることを
私たちはそこで知ることでしょう。

殉教ブログ.jpg

2016年12月23日

さらに迫害の後A

この国が鎖国を解き、
250年以上も続けた
キリシタン弾圧と迫害をやめて
キリストを信じる信仰の自由を得るためには、
再び殉教の血が流されなければならなかったのでした。

2016年12月21日

さらに迫害の後@

しかし、彼らが信じて待ち続けた大声でキリシタンの歌を
歌って歩ける喜びを得るためには、
1867年に始まった「浦上四番崩れ」と
それに続いて起こった大村領木場の三番崩れ、
悲惨極まる五島崩れ、外海や伊王島、陰の尾島、
大山、善長次などの離島僻地にまでおよんだ
残酷な迫害を、忍びながら通過しなければ
ならなかったのです。
そして、その中には、殉教する者たちも出ました。

2016年12月19日

バスチャンの4つの予告預言G

このように「7代たったらコンヘソーロがやってくる」
という預言の言葉は、
潜伏しているキリシタンたちにとって、
とても大きな希望となっていたのです。


2016年12月17日

バスチャンの4つの予告預言F

佐鉢は臨終のとき、
各戸の家頭を枕元に集め、
訓して言いました。
「やがて黒船に乗ってくる人とひとつ心になれ」と。

2016年12月16日

バスチャンの4つの予告預言E

また長崎港の近くに善谷という
カトリック信者の村があります。
もと禅定谷といっていましたが、
左八という水方が引率して
家族と2人の独身者が移住してきました。

2016年12月14日

バスチャンの4つの予告預言D

ところがある日、大きな黒船がやって来たと言って
人々が騒いでいます。
彼は小高い丘に登って、そのところを打ち眺めました。

「これじゃ。バスチャンさまの予言の黒船じゃ。
じゃが、わしはコンへソーロに会うてコンピサンを
申すまで生きてはおらぬ。」

そう言って彼は涙をこぼしたのです。

2016年12月13日

バスチャンの4つの予告預言C

彼は涙を流してこう言ったのです。
「黒船の渡来も遠いことではないぞ。
コンヘソーロが来て、
コンピサン(告白)をきき、
罪科の赦しをいただける日は近づいた。
オラショも教えも大声でできるようになるぞ。
牛肉も食べられる世になるが、
それは金持ちや上っ方ばかりで
われわれ貧乏人の口にはのるまい。
その日が近づいたというのに、
このわしは何と不幸じゃ。
コンヘソーロに会うて
コンピサンを申すこともできないで死んでしまうが、
お前たち若いものは。
その時代を見ることができるのじゃ。」

2016年12月12日

バスチャンの4つの予告預言B

バスチャンから7代たったときに
長崎の外海というところに形右衛門というひとりの
老人がいました。
彼は信仰篤い人で「コンヘソーロ(神父)」が来るのを
ずっと待っていました。

2016年12月11日

バスチャンの4つの予告預言B

バスチャンから7代たったときに
長崎の外海というところに形右衛門というひとりの
老人がいました。
彼は信仰篤い人で「コンヘソーロ(神父)」が来るのを
ずっと待っていました。

2016年12月09日

バスチャンの4つの予告預言A

キリシタンたちは、
この四つの預言の言葉を大切に抱きながら、
告白を聞いてくれる神父がやってきて、
大声でオラショ(お祈り)すつことのできる日を
7代250年のあいだ信じて待ち続けたのです。

2016年12月07日

バスチャンの4つの予告預言@

バスチャンが残した4つの予告とは
次のようなものでした。

一、 お前たちを7代までは、
   わが子とみなすがそれからあとはアニマ(霊魂)の
   助かりが困難になる。

二、 コンヘソーロ(告白を聞く神父)が大きな黒船に
   乗ってやってくる。
   毎週でもコンヒサン(告白)ができる。

三、 どこでも大声でキリシタンの歌をうたって
   歩ける時代が来る。

四、 道でゼンチョ(ポルトガル語で教外者)
   に出会うと、先方が道をゆずるようになる。

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2016年12月05日

バスチャンの日繰りG

また、バスチャンが残したのは
日繰りだけではありませんでした。
彼は処刑される前(彼も殉教者でした)、
四つのことを預言し予告しました。
そして人々はこれを
大切に伝承していったのです。

2016年12月04日

バスチャンの日繰りF

1人の伝道師の切なる祈りが
その後250年間続いた迫害の中で
人々の信仰を支える力となりました。
1人の真実な祈りは主の心を動かし、
その祈りの答えは多くの人々の信仰をも
引き上げ建て上げていきます。

確かに主は祈る人々を通して働いてくださり、
祈りを通して人々を祝福してくださるのです。

2016年12月03日

バスチャンの日繰りE

このバスチャンについての伝承が、
どこまで信憑性を持つものかはわかりませんが、
確かに「バスチャンの日繰りがいまも残っており、
それがキリシタンたちにとって
どれほど大きな力であったかということは、
決して否定することのできない事実なのです。
そしてそれはバスチャンの切なる断食を伴った祈りを通して
主が与えられたものだったのです。

2016年12月02日

バスチャンの日繰りD

それで彼は21日間断食し、
「もう一度ジワンが帰って来て教えてください。」と
主に祈ったところ、
どこからかジワンがあ帰ってきて教えてくれたのです。
そしてバスチャンと別れの水杯をして、
海上を歩いて遠くに去って行ったと言われています。

2016年12月01日

バスチャンの日繰りC

バスチャンはジワンという神父の弟子になってともに伝道していましたが、
あるときジワンは国に帰るといって
姿を消してしまいました。
バスチャンはすでに日繰りの
繰り方をジワンから教えられていましたが、まだ十分には納得していませんでした。