2016年03月31日

バスチャンの4つの予告預言G

このように「7代たったらコンヘソーロがやってくる」
という預言の言葉は、
潜伏しているキリシタンたちにとって、
とても大きな希望となっていたのです。


バスチャンの4つの予告預言F

佐鉢は臨終のとき、
各戸の家頭を枕元に集め、
訓して言いました。
「やがて黒船に乗ってくる人とひとつ心になれ」と。

バスチャンの4つの予告預言F

佐鉢は臨終のとき、
各戸の家頭を枕元に集め、
訓して言いました。
「やがて黒船に乗ってくる人とひとつ心になれ」と。

バスチャンの4つの予告預言E

また長崎港の近くに善谷という
カトリック信者の村があります。
もと禅定谷といっていましたが、
左八という水方が引率して
家族と2人の独身者が移住してきました。

バスチャンの4つの予告預言D

ところがある日、大きな黒船がやって来たと言って
人々が騒いでいます。
彼は小高い丘に登って、そのところを打ち眺めました。

「これじゃ。バスチャンさまの予言の黒船じゃ。
じゃが、わしはコンへソーロに会うてコンピサンを
申すまで生きてはおらぬ。」

そう言って彼は涙をこぼしたのです。

殉教ブログ.jpg

2016年03月29日

バスチャンの4つの予告預言C


彼は涙を流してこう言ったのです。
「黒船の渡来も遠いことではないぞ。
コンヘソーロが来て、
コンピサン(告白)をきき、
罪科の赦しをいただける日は近づいた。
オラショも教えも大声でできるようになるぞ。
牛肉も食べられる世になるが、
それは金持ちや上っ方ばかりで
われわれ貧乏人の口にはのるまい。
その日が近づいたというのに、
このわしは何と不幸じゃ。
コンヘソーロに会うて
コンピサンを申すこともできないで死んでしまうが、
お前たち若いものは。
その時代を見ることができるのじゃ。」


バスチャンの4つの予告預言B

キリシタンたちは、
この四つの預言の言葉を大切に抱きながら、
告白を聞いてくれる神父がやってきて、
大声でオラショ(お祈り)すつことのできる日を
7代250年のあいだ信じて待ち続けたのです。

バスチャンの4つの予告預言A

キリシタンたちは、
この四つの預言の言葉を大切に抱きながら、
告白を聞いてくれる神父がやってきて、
大声でオラショ(お祈り)すつことのできる日を
7代250年のあいだ信じて待ち続けたのです。

2016年03月26日

バスチャンの4つの予告預言@

バスチャンが残した4つの予告とは
次のようなものでした。

一、 お前たちを7代までは、
   わが子とみなすがそれからあとはアニマ(霊魂)の
   助かりが困難になる。

二、 コンヘソーロ(告白を聞く神父)が大きな黒船に
   乗ってやってくる。
   毎週でもコンヒサン(告白)ができる。

三、 どこでも大声でキリシタンの歌をうたって
   歩ける時代が来る。

四、 道でゼンチョ(ポルトガル語で教外者)
   に出会うと、先方が道をゆずるようになる。

殉教ブログ.jpg

バスチャンの日繰りG

また、バスチャンが残したのは
日繰りだけではありませんでした。
彼は処刑される前(彼も殉教者でした)、
四つのことを預言し予告しました。
そして人々はこれを
大切に伝承していったのです。

バスチャンの日繰りF

人の伝道師の切なる祈りが
その後250年間続いた迫害の中で
人々の信仰を支える力となりました。
1人の真実な祈りは主の心を動かし、
その祈りの答えは多くの人々の信仰をも
引き上げ建て上げていきます。

確かに主は祈る人々を通して働いてくださり、
祈りを通して人々を祝福してくださるのです。

2016年03月25日

バスチャンの日繰りE

このバスチャンについての伝承が、
どこまで信憑性を持つものかはわかりませんが、
確かに「バスチャンの日繰りがいまも残っており、
それがキリシタンたちにとって
どれほど大きな力であったかということは、
決して否定することのできない事実なのです。
そしてそれはバスチャンの切なる断食を伴った祈りを通して
主が与えられたものだったのです。

バスチャンの日繰りD

それで彼は21日間断食し、
「もう一度ジワンが帰って来て教えてください。」と
主に祈ったところ、
どこからかジワンがあ帰ってきて教えてくれたのです。
そしてバスチャンと別れの水杯をして、
海上を歩いて遠くに去って行ったと言われています。



2016年03月23日

バスチャンの日繰りB

長い迫害の中で、
浦上はもとより外海・五島・長崎地方のキリシタンたちが
信仰を伝承しえた力のひとつは、
この「日繰り」であったと言っても
決して過言ではないのです。
ではどのようにしてこの「

バスチャンの日繰りA

彼は「バスチャンさまの日くり」という、
1934年の大陰暦によるキリシタン暦
(受難週や復活祭、聖霊降臨日や降誕節など)
を残しました。
この影響は非常に大きなものがあります。



バスチャンの日繰り@

この地下組織のほかに、
もうひとつ彼らが250年間
信仰の灯をともし続けるのに大きな原動力となったものがあります。
それは神父たちが殉教してしまった後に、
信徒を指導していた日本人伝道士
バスチャンの存在でした。
彼の洗礼名はセバスチャンと言いましたが、
略してバスチャンと呼ばれていました。
彼の日本名はいまもわかっていません。

2016年03月19日

改心戻し@

転んで先に帰った人たちは、
家族から「信仰を捨てたものはきっと
テングがついたにちがいない。
家に入れるといっしょにテングもついてきて、
みんな転んでしまう。
だから家に入れるな。もしあなたが家にいるなら
私がでる。」と言われ、
家にも入れてもらえませんでした。

祈りによってF

主はほかのだれでもなく、
字も読めず無学であっても、
祈り、主にすがるものに助けを与え、
日本の信仰の自由を勝ち取らせてくださいました。

2016年03月18日

祈りによってE

いやむしろ彼は弱かったからこそ、
断食までして主イエスさまと聖霊さまに
真剣に助けを求めたのです。
そしてその祈りは主に聞き届けられ、
彼はどんなに目の前でひどい責め苦を
見せられ、他の者たちが目の前で
次々に転んでいっても転ばなかったのです。

殉教ブログ.jpg

祈りによってD

仙右衛門は転んで牢を出された人より3日送れて、
転ばず信仰を守りとおし、
村(乙名)預けということで
浦上の村に帰されました。
そのとき村の人が仙右衛門に、
どうしてあんなひどい拷問をしのぐことができたのですかと聞きました。

祈りによってC

「どんな強い人間でも、
あんな目にあわされたら、
人間の力だけではとてもしのぐことはできません。
私が転んだら天主さま、
また日本のたくさんの殉教者に対して
申しわけないと思い、
断食の祈りをささげ、
聖霊さまのお助けを祈っておりました。
聖霊さまのお力でしのげたのでございましょう」
と仙右衛門は答えました。

祈りによってB

仙右衛門は転んで牢を出された人より3日送れて、
転ばず信仰を守りとおし、
村(乙名)預けということで
浦上の村に帰されました。
そのとき村の人が仙右衛門に、
どうしてあんなひどい拷問をしのぐことができたのですかと聞きました。

2016年03月16日

祈りによってA

彼はただ単純に教えられたことを
信じて守っていただけでした。
毎金曜日にはキリストの
ご受難を思って断食をし、
祈りをしている人でした。

祈りによって@

ただひとり高木仙右衛門は転びませんでした。
この人は農民でした。
字は読めず、特別な学問を受けたわけでもなく、
見た目には弱そうな人で、
仲間さえ、どこからそんな勇気が出てくるのか
信じられないぐらいでした。

残虐な拷問G

それで、これから拷問を受けようとしていた5人も
すっかり気を落としてしまい、
残っていた人たちもみんな
爪印を押してしまったのです。
ただひとり、
高木仙右衛門だけを残して。