2016年02月26日

バスチャンの4つの予告預言C

彼は涙を流してこう言ったのです。
「黒船の渡来も遠いことではないぞ。
コンヘソーロが来て、
コンピサン(告白)をきき、
罪科の赦しをいただける日は近づいた。
オラショも教えも大声でできるようになるぞ。
牛肉も食べられる世になるが、
それは金持ちや上っ方ばかりで
われわれ貧乏人の口にはのるまい。
その日が近づいたというのに、
このわしは何と不幸じゃ。
コンヘソーロに会うて
コンピサンを申すこともできないで死んでしまうが、
お前たち若いものは。
その時代を見ることができるのじゃ。」

バスチャンの4つの予告預言C

彼は涙を流してこう言ったのです。
「黒船の渡来も遠いことではないぞ。
コンヘソーロが来て、
コンピサン(告白)をきき、
罪科の赦しをいただける日は近づいた。
オラショも教えも大声でできるようになるぞ。
牛肉も食べられる世になるが、
それは金持ちや上っ方ばかりで
われわれ貧乏人の口にはのるまい。
その日が近づいたというのに、
このわしは何と不幸じゃ。
コンヘソーロに会うて
コンピサンを申すこともできないで死んでしまうが、
お前たち若いものは。
その時代を見ることができるのじゃ。」

バスチャンの4つの予告預言B

バスチャンから7代たったときに
長崎の外海というところに形右衛門というひとりの
老人がいました。
彼は信仰篤い人で「コンヘソーロ(神父)」が来るのを
ずっと待っていました。

バスチャンの4つの予告預言A

キリシタンたちは、
この四つの預言の言葉を大切に抱きながら、
告白を聞いてくれる神父がやってきて、
大声でオラショ(お祈り)すつことのできる日を
7代250年のあいだ信じて待ち続けたのです。

バスチャンの4つの予告預言A

キリシタンたちは、
この四つの預言の言葉を大切に抱きながら、
告白を聞いてくれる神父がやってきて、
大声でオラショ(お祈り)すつことのできる日を
7代250年のあいだ信じて待ち続けたのです。


バスチャンの4つの予告預言@

バスチャンが残した4つの予告とは
次のようなものでした。

一、 お前たちを7代までは、
   わが子とみなすがそれからあとはアニマ(霊魂)の
   助かりが困難になる。

二、 コンヘソーロ(告白を聞く神父)が大きな黒船に
   乗ってやってくる。
   毎週でもコンヒサン(告白)ができる。

三、 どこでも大声でキリシタンの歌をうたって
   歩ける時代が来る。

四、 道でゼンチョ(ポルトガル語で教外者)
   に出会うと、先方が道をゆずるようになる。

殉教ブログ.jpg

2016年02月24日

バスチャンの日繰りG

また、バスチャンが残したのは
日繰りだけではありませんでした。
彼は処刑される前(彼も殉教者でした)、
四つのことを預言し予告しました。
そして人々はこれを
大切に伝承していったのです。

バスチャンの日繰りG


また、バスチャンが残したのは
日繰りだけではありませんでした。
彼は処刑される前(彼も殉教者でした)、
四つのことを預言し予告しました。
そして人々はこれを
大切に伝承していったのです。

バスチャンの日繰りF

1人の伝道師の切なる祈りが
その後250年間続いた迫害の中で
人々の信仰を支える力となりました。
1人の真実な祈りは主の心を動かし、
その祈りの答えは多くの人々の信仰をも
引き上げ建て上げていきます。

確かに主は祈る人々を通して働いてくださり、
祈りを通して人々を祝福してくださるのです。

バスチャンの日繰り6


このバスチャンについての伝承が、
どこまで信憑性を持つものかはわかりませんが、
確かに「バスチャンの日繰りがいまも残っており、
それがキリシタンたちにとって
どれほど大きな力であったかということは、
決して否定することのできない事実なのです。
そしてそれはバスチャンの切なる断食を伴った祈りを通して
主が与えられたものだったのです。

バスチャンの日繰りD


それで彼は21日間断食し、
「もう一度ジワンが帰って来て教えてください。」と
主に祈ったところ、
どこからかジワンがあ帰ってきて教えてくれたのです。
そしてバスチャンと別れの水杯をして、
海上を歩いて遠くに去って行ったと言われています。

2016年02月22日

バスチャンの日繰りC

バスチャンはジワンという神父の弟子になってともに伝道していましたが、
あるときジワンは国に帰るといって
姿を消してしまいました。
バスチャンはすでに日繰りの
繰り方をジワンから教えられていましたが、まだ十分には納得していませんでした。

バスチャンの日繰りB

彼は「バスチャンさまの日くり」という、
1934年の大陰暦によるキリシタン暦
(受難週や復活祭、聖霊降臨日や降誕節など)
を残しました。
この影響は非常に大きなものがあります。

バスチャンの日繰り@


このような帳方・水方・聞役という指導系統ができていたのです。
250年に及ぶ長い間1人の神父もいないのに信者たちが
信仰を伝え継承できたのは、ひとつにはこの組織のゆえでした。
(このような地下組織は浦上ばかりではなく、外海地方、五島、
平戸、生月地方のキリシタンたちも持っていました。)

浦上の地下組織D


このような帳方・水方・聞役という指導系統ができていたのです。
250年に及ぶ長い間1人の神父もいないのに信者たちが
信仰を伝え継承できたのは、ひとつにはこの組織のゆえでした。
(このような地下組織は浦上ばかりではなく、外海地方、五島、
平戸、生月地方のキリシタンたちも持っていました。)

浦上の地下組織C

B聞き役・・・各字に一人いて、
一戸一戸の信者を掌握していて、
水方から伝えられたことを
各人に流す。

2016年02月17日

浦上の地下組織D

このような帳方・水方・聞役という指導系統ができていたのです。
250年に及ぶ長い間1人の神父もいないのに信者たちが
信仰を伝え継承できたのは、ひとつにはこの組織のゆえでした。
(このような地下組織は浦上ばかりではなく、外海地方、五島、
平戸、生月地方のキリシタンたちも持っていました。)

浦上の地下組織C

聞き役・・・各字に一人いて、
一戸一戸の信者を掌握していて、
水方から伝えられたことを
各人に流す。

浦上の地下組織B

A水方・・・各郷に一人いて、
帳方から伝えられた祝日や祈り、
教義を聞き役に伝える。
洗礼を授けるのは
水方の役目になっていました。

浦上の地下組織A

まず第一に、彼らの作った地下組織でした。
それは次の3役で構成されていました。

@帳方(ちょうかた)・・・浦上に一人いて、
日繰り(バスチャン暦)を所持し、
1年の祝日や教会行事の日を繰り出し、
また祈りや教義などを伝承する。

浦上の地下組織@


しかもその中で転んで
仏教徒になるものも出ました。
しかし最後まで信じて信仰を守り通した者たちは、
この数年後、
主の真実と約束の成就を見ることになったのです。

崩れH


しかもその中で転んで
仏教徒になるものも出ました。
しかし最後まで信じて信仰を守り通した者たちは、
この数年後、
主の真実と約束の成就を見ることになったのです。

2016年02月11日

崩れG


信徒発見が起こる直前に大きな崩れが
許されたのは、とても興味深いことです。
250年待ち続けたことの成就を見る前に彼らは
帳方を失い、水方も一人しか残らないという
試練の中に置かれたのでした。

殉教ブログ.jpg

崩れF

1860年に事件は決着しましたが、
基地蔵は牢死、子の利久は所払いになり、
初代右衛門から吉蔵まで七代続いた
帳方は、その後置かれなくなり、
1865年の信徒発見を迎えます。
水方も4人のうち一人だけが生き残りました。

崩れE

1856年「浦上三番崩れ」が起こります。
これも密告によるものでした。
最高指揮者の帳方吉蔵以下
多くの指導的人物が投獄され、
非道な拷問を受けます。
このときの拷問で転んで仏教徒になった
者もいるようです。