2016年01月30日

宣教B

パウロ三木は京都で捕らえられてから
十字架の上で最後に槍を受けるまで
キリストの福音を宣べ伝え、
十字架の説教をやめませんでした。
彼は最後まで魂を追い求めていたのです。

宣教A

それは死に対する恐れでも、この地上に対する執着や家族と離れることの悲しみでもありませんでした。
彼らはこの日本の民の中にまだキリストを知らない者がいることに耐えられなかったのです。
そしてもう彼らに福音を伝えることができなくなると思うと、彼杵(そのぎ)で涙を流したペテロ・バプチスタ神父のように
泣かずにはいれなかったのです。

宣教@

彼らは己を捨てて自分に死んでいました。
でもそんな彼らにも、ただ一つの気がかりがあったのです。
天に帰ることを心から喜びながら、この世に残していくまだ救われていない魂のことを思うと彼らの心は激しく痛みました。

キリストへの迫害が始まったこの国の将来のことを思うと憂いがやってきました。

2016年01月29日

喜びながら 己を捨てC


特に京都で捕縛され、殉教が定まったときから、彼らの心はますますこの地上に対する執着や思い煩いから解き放たれて天につなぎ合わされていったことでしょう。
長崎までのひと月の道の間に彼らの肉体は弱くされ、痛みや苦しみが襲うことがあったかもしれませんが、彼らの心は天の御国の喜びにますます満たされ、福音とキリストとのために殉教しなければならなくなったことを喜んでいたことでしょう。
ちょうどキリストの御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜んだ
使徒たちのように。

喜びながら 己を捨てB

なぜ殉教という十字架を前にして、
彼らは喜んでいることができたのでしょう。
それは彼らがもうすでに「己を捨て」自分に死んでいたからです。
彼らはもはや自分の命には生きていなかったのです。
主がご自身の命の代価を払って与えてくださった永遠の命の中に彼らは生きていたのです。だから彼らは喜んでいました。

殉教ブログ.jpg

喜びながら 己を捨てA

主は語られました。「彼らは喜んでいた」と。確かに彼らは喜んでいたのです。
役人の「養子になれ」との誘惑を断って
自分の十字架に走り口づけした12歳の少年ルドビゴ茨木、十字架の足もとにすがりついて「降りてきて」と絶叫する母に向かって「喜んでください」と言った13歳の少年アントニオ、メキシコに行き司祭に叙階されるはずだったのに日本で十字架につけられることになったとき、「サン・フェリペ号が難船したのはこの私が殉教の恵みに預かるために許されたのです」と言ったフェリペ。
彼らはみんな喜んでいたのです。

2016年01月26日

喜びながら 己を捨て@

はじめて西坂の丘に来て祈ったとき、
私は驚きました。
坂を登って西坂の丘にたどりつくと、
そこには喜びがありました。


天から注がれてくるような爽やかな明るい喜びがあったのです。それは私の中にあった暗い悲惨な
殉教というイメージとはあまりにもかけ離れていました。
そこにはとても深い主のご臨在があったのです。
その日は小雨が降っていましたが、
私が西坂の丘に立ち、心を

喜びながら 己を捨て@

はじめて西坂の丘に来て祈ったとき、
私は驚きました。
坂を登って西坂の丘にたどりつくと、
そこには喜びがありました。


天から注がれてくるような爽やかな明るい喜びがあったのです。それは私の中にあった暗い悲惨な
殉教というイメージとはあまりにもかけ離れていました。
そこにはとても深い主のご臨在があったのです。
その日は小雨が降っていましたが、
私が西坂の丘に立ち、心を

十字架を背負ってB

キリストのそばに置かれた12弟子たちがキリストと聖霊によって造り変えられて
いったように、彼らも殉教への道の中で
神により近づけられ、変えられていったのです。

長崎への道の途中で殉教者に加えられたペトロ助四郎とフランシスコ吉や、日本に来てわずか数ヶ月で捕らえられ殉教者の中に入れられたフェリペを見ているとそんなふうに思えてきます。

十字架を背負ってA

だからこそ、たとえばマチヤスのように自ら進んで同じ洗礼名をもつ人間に代わって
捕らえられることができたのでしょう。

京都で捕らえられてから
西坂の丘で殉教するまでのひと月の長崎への道は、彼らにさらに深く十字架を負うことを教えてくれたことでしょう。
その道の中で彼らはさらにキリストに近づき、十字架の深みへと導かれ、喜んで殉教していったのです。
彼らに許された殉教という十字架を負うために、主はひと月の備えのときを彼らに与えられたのです。

十字架を背負って@


彼らにとって殉教は確かに十字架でした。
けれどもその十字架を喜んで彼らが
負うことを選べたのは、
それまでの日々の生活の中で
彼らがすでに十字架を負っていたから
なのではないでしょうか?

殉教ブログ.jpg

p

2016年01月25日

人若し我に従わんと欲せばH

キリストが選ばれた弟子たちは、
ガリラヤの無学な普通の人たちでした。
けれども、彼らは
主に呼ばれたときにすぐに従いました。
同じように26聖人たちも
主にすぐに従う心を持っていたのです。

人若し我に従わんと欲せばG

26聖人たちはキリストのように受け取ったのです。
しかも喜んで・・・。
それができたのは彼らが「聖人」で特別だったからなのでしょうか。
私は26聖人が特別な聖人だったからできたのだとは思えないのです。

私は彼らを慕っています。
彼らの信仰に学び彼らに倣いたいと思っています。
とても彼らを尊敬しているのです。
けれども彼らもやはり私たちと同じ弱さを持っている罪人だったと思うのです。
ただ彼らは主に従いたいと心から願っていました。
彼らは本当に主を愛していたのです。
その愛と従いたいという心からの願いが、
彼らを殉教にまで導いていったのでしょう

人若し我に従わんと欲せばG

26聖人たちはキリストのように受け取ったのです。
しかも喜んで・・・。
それができたのは彼らが「聖人」で特別だったからなのでしょうか。
私は26聖人が特別な聖人だったからできたのだとは思えないのです。

私は彼らを慕っています。
彼らの信仰に学び彼らに倣いたいと思っています。
とても彼らを尊敬しているのです。
けれども彼らもやはり私たちと同じ弱さを持っている罪人だったと思うのです。
ただ彼らは主に従いたいと心から願っていました。
彼らは本当に主を愛していたのです。
その愛と従いたいという心からの願いが、
彼らを殉教にまで導いていったのでしょう

2016年01月23日

人若し我に従わんと欲せばF

私たちの日々の信仰生活においても
同じようなことが許されることがあります。
 もちろん今の日本の国内では
殉教ということはないでしょうが、
妬まれたり、ありもしないことを言われたりということは日常茶飯事です。
そのようなとき、私たちは黙って
その十字架を受け取っているでしょうか。
つぶやいてしまったり、恐れてしまったり、怒ってしまったりして、その十字架を
投げ捨ててしまっていないでしょうか。

人若し我に従わんと欲せばE

また、キリストが捕らえられたとき、
祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不法な裁判において大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みによって殉教という十字架につけられることを黙って引き受けたのです。



キリストがパリサイ人や律法学者たちの妬みによって十字架につけられたのと同じように・・・・。
また、キリストが捕らえられたとき、
祭司長たちと全議会による誹謗と偽証による不法な裁判において大祭司の前で黙っておられたように、彼らも妬みによって
殉教という十字架につけられることを
黙って引き受けたのです。

人若し我に従わんと欲せばD

26聖人たちは悪口雑言ありもしないことを言われたうえ、
殺されることになったのです。
これは彼らにとっては十字架でした。
しかし彼らはその殉教という十字架を喜んで受け取り、
黙って縄を受けたのです。
キリストがパリサイ人や律法学者たちの
妬みによって十字架につけられたのと同じように・・・・。

2016年01月21日

人若し我に従わんと欲せばC


26聖人が殉教することになった直接のきっかけはサン・フェリペ号の遭難でした。
けれども時の権力者太閤秀吉が彼らに処刑を命じた原因はそればかりでなく、ほかにもあります。
いくつか考えられますが、その一つはまちがいなく元仏教僧だった施薬院全宗(せやくんぜんしゅう)の妬みと敵対心の諌言のためでした。
まだ、ポルトガルとイスパニア(スペイン)の貿易競争から来る誹謗合戦の結果でもありました。

人若し我に従わんと欲せばB

昨年の9月号から12月号まで
4回にわたって
26聖人の足跡をたどりながら、
京都での捕縛から長崎での殉教までの話を書いてきました。
5回目になる今回は、
26聖人について書く最後になります。
今回は、この御言葉を通して彼らの生涯と
殉教を見ていきたいと思います。
そしてそこから主の語りかけを聞きたいと思います。

人若し我に従わんと欲せばA

御言葉には力があります。
この丘に立って祈るとき、
この御言葉は静かに、
でも非常に力強く私に迫ってくるのです。
それはきっと26聖人がこの御言葉に生きて、証しを立てたからなのでしょう。
彼らの生涯はまさにこの御言葉の成就だったと言えるのです。

2016年01月20日

人若し我に従わんと欲せば@

人若し我に従わんと欲せば
己を捨て十字架をとりて我に従ふべし
(マルコ8章)

 26聖人が殉教した西坂の丘に、
いまは彼らのレリーフが建っています。
レリーフは26人の殉教者が並んで彫られており、そのちょうど真ん中の下の部分に
7本の十字架とともにこの御言葉が刻まれているのです。私が西坂の丘に立って祈るたびに、この御言葉は私の心に語りかけてきます。


 

最後の殉教者 ペテロバプチスタA

6人の処刑は終わりました。
殉教者たちの残していった天の喜びが
そこにはいまも残っています。
 キリストの十字架のもとにいた
ローマ兵が「この方はまことに神の子であった」
と気づいたように、この後、殉教に加わった役人のうち一人が回心したといわれています。
しかしそれがだれなのかは定かではありません。もしかすると半三郎だったかもしれませんが・・・。

最後の殉教者 ペテロバプチスタ@


彼を最後にしたのは、役人たちが、
25人の仲間たちが無残に刺し殺されて
死ぬのを見れば、
彼が途中で信仰を捨てるかもしれないと
思ったからです。



しかし結果は逆でした。
彼は26人がだれひとり信仰を捨てることなく、全員最後まで主を愛して殉教することを願っていました。
彼は全員が喜んで槍を受け、天に帰っていくのを見届けることができたのです。
いまや彼は彼の霊の子供たちや同僚たちとともに天に帰るため、喜びながら槍を受けることができるのです。
彼は天を見上げて、くちびるを動かして
キリストが祈られたのと同じように
最後の祈りをしました。
「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と。
そのとき、26人の血でそまった槍が彼を突き刺したのです。

2016年01月19日

処刑執行A

執行人は十字架から十字架へと東と西の端から順番に合図とともに突き刺して処刑をしていきました。
勢い余って槍の穂先が背中に出るものもありました。
ほとんどの殉教者たちは鮮血とともに瞬時にして息が絶えました。
しかし不十分と思われた者は、喉をもう一突きされ、とどめを刺されました。


最年少の12歳のルドビゴ少年は槍を受けたとき、「天国、天国」(パライソ、パライソ)と言って目を天に向けながら、殉教したのです。トマス小崎は20番目の十字架で、4番目の十字架につけられていた父ミカエルとは東西に遠く離されていましたが、ほとんど同じ頃、槍を受けて殉教したのです。

 こうして2人ずつ東西に分かれていた執行人が中央で出会う頃には26人の処刑は終わろうとしていました。
 けれども最後まで残されていた人がいました。
それはペテロ・バプチスタ神父だったのです。

処刑執行@

フェリペの処刑が終わると、
半三郎は4人の執行人を呼びました。
彼らは槍を持ち2人ずつ
一組になって十字架の両端へと行きました。
そして東の方の1番目の十字架と
西の端の26番目の十字架との下に
槍を構えて立ちました。
槍の鞘を払い、
彼らは合図を待ちました。
合図が下ると、
掛け声もろとも槍は殉教者の胸の中で
交錯しました。
こうして東の1番の十字架の上では
フランシスコ吉が、
また西の26番の十字架では尾張生まれの
49歳の伝道者パウロ鈴木が、
槍をx形に受け、
鮮血とともに殉教したのです。