2016年01月30日

宣教B

パウロ三木は京都で捕らえられてから
十字架の上で最後に槍を受けるまで
キリストの福音を宣べ伝え、
十字架の説教をやめませんでした。
彼は最後まで魂を追い求めていたのです。

宣教A

それは死に対する恐れでも、この地上に対する執着や家族と離れることの悲しみでもありませんでした。
彼らはこの日本の民の中にまだキリストを知らない者がいることに耐えられなかったのです。
そしてもう彼らに福音を伝えることができなくなると思うと、彼杵(そのぎ)で涙を流したペテロ・バプチスタ神父のように
泣かずにはいれなかったのです。

宣教@

彼らは己を捨てて自分に死んでいました。
でもそんな彼らにも、ただ一つの気がかりがあったのです。
天に帰ることを心から喜びながら、この世に残していくまだ救われていない魂のことを思うと彼らの心は激しく痛みました。

キリストへの迫害が始まったこの国の将来のことを思うと憂いがやってきました。