2015年12月31日

少年ルドビゴ茨木A

彼はルドビゴに言ったのです。
「お前の命は私の掌の中にある。もし、私に仕える気があれば、お前を助けてつかわそうぞ。私の養子になれ」
ルドビゴ少年は答えました。「私はペトロ・バプチスタ神父(26人のリーダー)に従いまする。」

 それを聞いた神父は、
「キリシタンとしての生活が許されるなら、喜んでそれに従いなされ。」
と言いました。
それで、ルドビゴ少年は半三郎に答えました。
「ありがとうございます。それでは養子にさせていただきまする。
ただ一つだけお願いがあります。
キリシタンとしていまのままの信仰を持ち続けられるならば・・・」

少年ルドビコ茨木@

 2月1日に、唐津湾に遠からぬ村の山本で、殉教者の一行は、寺沢半三郎に引き渡されました。
半三郎は唐津城主寺沢広高の弟であり、
処刑の執行責任者である長崎奉行の職にありました。
  彼は名簿と囚人とを照合して受け取りましたが、そのとき彼の心は2つのことで痛んだのです。主人の中に彼の友人のパウロ三木と三人の少年がいたことでした。
とりわけ、元気で、いたいけな12歳のルドビゴ茨木を処刑にしなければならないと思うと彼の心は暗く重たくなりました。

2015年12月27日

2人が選び26人にA

下関についたときには、殉教者たちは26人となり、この二人ーーペトロ助四郎とフランシスコ吉ーーも囚人になっていたのです。しかし彼らの顔はきっと輝いていたでしょう。主とともにいる喜びと天国への希望に燃えて・・・・。

 26人となった殉教者の一行は、大阪から長崎までの約800キロにわたる長い距離を、ほとんど陸路で旅を続けました。
冬のさなかでもあり、道はぬかるみ、非常な難渋を極めたようです。
その苦しみを和らげ、大きな慰めとなり励ましとなっていたのが、最年少で12歳のルドビゴ茨木少年でした。彼は生来利発ではありませんでしたが、長崎への旅の道中でも、いつも明るく朗らかでとても元気のいい少年でした。
 もしかすると、彼らのほうから自分たちも殉教者の仲間に加えられるように願ったのかもしれません。事実、そのように書いてある書物もあります。
いずれにしても、この二人にとっても殉教は喜びであり、彼ら自身の選びだったのです。

2人が選び26人に@

秀吉によって捕縛されたのは24人でした。長崎に向かう道中で26人になります。
それは京都にいたオルガンティノ神父が、
三人のイエズス会士の世話のためにと、
ペトロ助四郎という青年に路銀を持たせて
付き添わせたからです。彼は、わが身も顧みず奉仕に努めました。
もう一人はフランシスコ会士で伊勢の大工であったフランシスコ吉で、彼はフランシスコ会士をはじめ24人の殉教者たちが、
京都、大阪、堺の町々を引き回されたときから、長崎に護送される道中までもずっと彼らを慕い続け、身の回りの世話をしていたのです。

この二人は道中のどこかで役人の縄を受けています。おそらく強欲な役人たちが、
彼らの財布の路銀に目をつけたのでしょう。しかし彼らは殉教の恵みを受けることになったことを喜んで、むしろ進んで縄を受けてもっていた路銀を差し出したようです。

戻り橋を渡ってA

秀吉はこの24人を長崎で処刑することに決め、さらに人々への見せしめのために、
鼻と両耳をそぎ、惨めになった姿を大坂、
京都などの主な町々で引き回せと命令しました。
しかし、京都奉行であった石田三成はいくらか減刑して、左の耳たぶを切るだけにしました。

1月3日、上京一条の辻に24人は連れ出され、そこで左の耳たぶをそがれます。それから京都の町を引き回され、さらに大坂、堺でも引き回されます。実はこのとき、殉教をまぬがれるチャンスがあったのです。
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戻り橋を渡って@

捕縛された24人は、6人のフランシスコ会士の外国人神父をはじめ、3人の日本人イエズス会士と15名の日本人信徒でした。
その中には、伝道士、伝道士見習いはもとより、元僧侶、武士や商人と3人の子供も含まれていたのです。
ただ、この最初の殉教者の中には女性は含まれていませんでした。
もちろんこの後、多くの女性が殉教していきます。

神を選んだマチャス@

捕縛吏の一隊は、捕縛吏名簿を作って京都にあった教会に踏み込みました。
捕縛吏たちは、捕縛吏名簿を読み上げながら、返答する信徒の人定めをしていました。
そのとき一人の信徒が返答しなかったのです。マチヤスという料理人でしたが、
彼は答えませんでした。
すると同じ洗礼名を持っているまったくの別人が「私の名もマチヤスです。」と
自ら捕縛吏の前に進み出てきたのです。
役人というのは、今も昔も変わらないようです。役人たちはとにかく頭数をそろえればそれでよかったので、捕縛者名簿に載っている料理人マチヤスを捜そうともせず、
喜んでこの男を捕らえました。
こうして、彼は役人たちに受け入れられ、
殉教者の群れの中に神によって受け入れられたのです。

神を選んだマチャス@

捕縛吏の一隊は、捕縛吏名簿を作って京都にあった教会に踏み込みました。
捕縛吏たちは、捕縛吏名簿を読み上げながら、返答する信徒の人定めをしていました。
そのとき一人の信徒が返答しなかったのです。マチヤスという料理人でしたが、
彼は答えませんでした。
すると同じ洗礼名を持っているまったくの別人が「私の名もマチヤスです。」と
自ら捕縛吏の前に進み出てきたのです。
役人というのは、今も昔も変わらないようです。役人たちはとにかく頭数をそろえればそれでよかったので、捕縛者名簿に載っている料理人マチヤスを捜そうともせず、
喜んでこの男を捕らえました。
こうして、彼は役人たちに受け入れられ、
殉教者の群れの中に神によって受け入れられたのです。

神を選んだマチャス@

捕縛吏の一隊は、捕縛吏名簿を作って京都にあった教会に踏み込みました。
捕縛吏たちは、捕縛吏名簿を読み上げながら、返答する信徒の人定めをしていました。
そのとき一人の信徒が返答しなかったのです。マチヤスという料理人でしたが、
彼は答えませんでした。
すると同じ洗礼名を持っているまったくの別人が「私の名もマチヤスです。」と
自ら捕縛吏の前に進み出てきたのです。
役人というのは、今も昔も変わらないようです。役人たちはとにかく頭数をそろえればそれでよかったので、捕縛者名簿に載っている料理人マチヤスを捜そうともせず、
喜んでこの男を捕らえました。
こうして、彼は役人たちに受け入れられ、
殉教者の群れの中に神によって受け入れられたのです。

日本最初の殉教C

1596年10月、1隻の巨大なガレオン船が四国沖に現われ、土佐浦戸の桂浜に座礁しました。

これはスペインの商船サン・フェリペ号でした。この事件がきっかけとなって、
(このことの関していろいろな意見がありますが、 ここではそれを調べることがテーマではないので 詳細は省きます。)
時の権力者、太閤秀吉はフランシスコ会士を中心に24人の逮捕命令を出したのです。(後に26人になる。)

2015年12月24日

日本最初の殉教B

主が彼らの殉教への歩みを通して示して
くださったことを、これから何回かにわたって書いていきたいと思います。
それでは、まず簡単に26聖人の足跡を追ってみましょう。
ただあまり歴史の細かい事柄にとらわれすぎないようにしたいと思います。
大切なのは神さまの語りかけを聞くことにあるので・・・

日本最初の殉教A

吟味の後、確かに主の御心と感じた私は、
その後何度か長崎に足を運びました。
殉教した彼らの足跡をたどりながら、
私は主イエス・キリストに向かって祈り、
みことばを注意深く読み味わいました。
そのとき、主は確かに多くの語りかけを
与えてくださいました。
それは、現代に生きる私たちクリスチャンに
とっても非常に重要だと思えることでした。

日本最初の殉教@

いまからおよそ400年前の1597年に、
日本で初めての殉教がありました。
長崎の西坂の丘で、外国人神父6人を含む26人が十字架にかけられて殺されたのです。この殉教を日本26聖人といっています。

私は、日本26聖人に関しては神学校の日本キリスト教史で学んだことがあったので知ってはいました。しかし特別な関心があったわけではなかったのです。
ところが、私が導かれた教会において、
神さまは預言を通して長崎に祈りに行くようにと示され、特に、26聖人の歩みを通して語ることがあると言われたのです。


喜びながら勝利の凱旋D

まさに御言葉にあるように、一粒の麦となって彼らが地に落ちて死んだとき、豊かな実が結ばれていったのです。そしてその死はこれからももっと多くの実を結んでいくことでしょう。彼らはリバイバルの種となり、圧倒的な勝利者となったのです。

「これらの人々はみな、信仰の人々として
 死にました。約束のものを手に入れることは ありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、 地上では旅人であり寄留者であることを告白して
 いったのです。」へブル11章13節

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喜びながら勝利の凱旋C

イエス・キリストを信じたとき、
私たちは古い自分に死にました。
そのとき、主の十字架の血潮の力に
よって、私たちの罪は赦され、私たちは救われ、信仰によって義とされたのです。私たちは罪に対しては死に、この世に対してもすでに死んでいます。私たちはキリストとともに十字架につけられたからです。

殉教者たちは、この真理の中に生き、地上での生涯を、旅人として寄留者として全うしました。彼らの死は敗北ではなく勝利でした。

喜びながら勝利の凱旋B

殉教者たちは、この真理の中に生き、地上での生涯を、旅人として寄留者として全うしました。彼らの死は敗北ではなく勝利でした。
まさに御言葉にあるように、一粒の麦となって彼らが地に落ちて死んだとき、豊かな実が結ばれていったのです。そしてその死はこれからももっと多くの実を結んでいくことでしょう。彼らはリバイバルの種となり、圧倒的な勝利者となったのです。
「これらの人々はみな、信仰の人々として
 死にました。約束のものを手に入れることは ありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、 地上では旅人であり寄留者であることを告白して いったのです。」へブル11章13節

喜びながら勝利の凱旋A

殉教、それは主を愛して喜んで十字架を負って従っていった者たちの勝利の凱旋です。そこには私たちが殉教ということばを聞くとき持つような悲惨さや暗さはありません。なぜなら、彼らは「主とともにいた」からです。
殉教者たちは主がともにいることを知っていました。

主イエス・キリストを信じたとき、私たちは古い自分に死にました。そのとき、主の十字架の血潮の力によって、私たちの罪は赦され、私たちは救われ、信仰によって義とされたのです。私たちは罪に対しては死に、この世に対してもすでに死んでいます。私たちはキリストとともに十字架につけられたからです。
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posted by 日本教会史 at 11:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

喜びながら勝利の凱旋@

ステパノの殉教においても、日本26聖人の殉教においても、共通して言えることがあります。彼らの目は主ご自身に、そして永遠に朽ちることのない報いが待っている天に向けられていました。そして、「喜び」ながら「赦し」ながら、使命を全うしていったのです。
主を愛する心、賛美する心に包まれて・・・・。

「事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、
 すなわち天の故郷にあこがれていたのです。」
 ヘブル11章16節

2015年12月22日

二十六聖人の殉教C

明治になってからでさえ、キリスト教はしばらくのあいだ禁止されていました。
そのときも、長崎にある浦上カトリックのキリシタンたちの殉教と迫害の後に、福音宣教は自由になりました。

彼らが示した主に対する信仰の証にはとても励まされます。
このことに関しても後に書くことにしましょう。さらに明治以降であっても、戦争中には敵国宗教として、クリスチャンは迫害を受けました。このように、実は日本も、
殉教者の多さや殉教の仕方という点では、
世界有数の殉教国と言えるのです。

二十六聖人の殉教B

ところが秀吉の思惑とは逆に、26聖人の殉教の後に長崎にリバイバルが起こりました。西坂の丘に集まった多くの見物人たちは、26聖人たちが喜びに満ちて天に帰っていく姿に感動しました。クリスチャンはもとより、どっちつかずで信仰がはっきりしていなかった人々や、信仰をそのときまではもっていなかった人までもが回心し、「私もクリスチャンです。どうぞ殺してください。」
と代官所に押しかけて行きました。
この後、26万人が殉教したと言われています。

二十六聖人の殉教A

彼らもまた、神によって選ばれた人たちでした。
彼らの殉教に関しては、、
来月から詳しく書いていきます。
ここでは、簡単に述べましょう。

時の権力者太閤秀吉は、
キリスト教を迫害し、
京都・大坂で24人を捕らえ、
(後に26人になる。)、
長崎の西坂の丘で殺すように
命じたのです。
秀吉は長崎に多くのキリシタンたちが
いることを知っていたので、
彼らへの見せしめのために、
26人を長崎まで連れて行き、
十字架にかけさせたのです。
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二十六聖人の殉教

約400年前、ポルトガルやイスパニヤ(現スペイン)から、
カトリックの宣教師たちが命がけで日本を目指しました。
彼らによって初めて日本に福音が伝えられたのです。
宣教が許可されてしばらくの期間の後、
キリスト教は禁止され、
1597年に日本で最初の殉教が起こります。
そのとき、殉教したのが、「日本最初の殉教者」と
言われている日本二十六聖人です。

2015年12月21日

あとがき

いました。しかし今、かつて浦上の人たちが命をかけて守り続けたもの。
「キリストへの信仰」。
それは、どこにあるのでしょうか。


時代は終末の様相を示してきています。今こそ私たちは目を覚まして、キリストへの信仰を取り戻し、キリストとともに神さまの用意された本当の祝福の道を歩むべき時なのです。

あとがき

イエス・キリストは、何一つ罪を犯されませんでした。しかし私たちが自分で、どうすることもできない罪と、弱さと、その結果もたらされるすべての呪いと病気を、
イエス・キリストは、ご自分の身に負って、私たちの罪の身代わりになって十字架で死んでくださったのです。
そして十字架で死ぬ直前に、こう言われました。「完了した」と。罪の代価はすべて払われました。
私たちは、ただ自分の罪を悔い改めてイエス・キリストの十字架を信じるだけで、その時全く新しく生まれ変わることができるのです。
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あとがき

なぜ彼らは何代にもわたって命をかけてまで、イエス・キリストへの信仰を、守り通したのでしょうか。
それはイエス・キリストが命をかけて、私たちを愛してくださったからです。

教会に行くと必ずあるもの、それは十字架です。この十字架でイエス・キリストはご自分の命を捨ててまで、私たちへの愛を示されたのです。
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