2018年06月19日

十  少年アントニオー十字架上で捧げた賛美

喜んでください

 案の定、アントニオの両親は、十字架に近づいて激しく泣き叫びました。「アントニオ。お願いだから十字架から降りてきてちょうだい。親に先立つ不孝があるか。お願いだから、キリストを捨てて降りてきてちょうだい」 必死になって、半ば狂乱しながら十字架にしがみついて泣き叫ぶ両親に向かって、アントニオはこう応えたのです。「お父さん、お母さん。喜んでください。私は、これから天国へ行くのです。お父さん。お母さん。泣かないでください。私はこれから先に天国へ行って、お父さん、お母さんのおいでになるのを待っています。ですから、お父さんもお母さんもイエス様を信じて、私の後から天国に来てください。お父さん。お母さん。喜んでください」


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2018年06月17日

十  少年アントニオー十字架上で捧げた賛美

喜んでください

  今回は,そのアントニオについて書きたいと思います。 アントニオの生まれ故郷は、長崎でした。彼の父親は中国人、母親は日本人でした。両親はまだどちらもイエス・キリストを信じていませんでした。 政府の役人たちは26人を処刑するとき、アントニオの十字架の足元に両親を連れてきたのです。両親の叫びを聞けば、アントニオが、信仰を捨てるかもしれないと役人たちは思ったのでしょう。彼らは、何とかしてキリストへの信仰を捨てさせたかったのです。
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2018年06月16日

十  少年アントニオー十字架で捧げた賛美

「ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ。主の御名をほめたたえよ。」(詩篇113篇1節)

 西坂の丘で殉教していった26人。その中に3人の少年がいました。その一人が佐賀の唐津、山本の村で神を選んだルドビゴ少年でした。彼は若干12歳の最年少であったにもかかわらず、西坂の丘で自分のかかる十字架を抱きしめ、思わずも十字架に頬ずりをし、そして十字架に口ずけしたといわれています。 その十字架の上で、彼は詩篇113篇を、彼の横に並んで、同じように十字架にかけられて殉教していった13歳の少年アントニオと共に、心から神に向かって賛美したのです。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。(新改訳聖書では「主のしもべたちよ」となっています)
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2018年06月13日

九  ルドビゴ茨木3

 この12歳のいたいけな少年にとって、これから十字架にかけられて殺されることは、悲しみでも苦しみでも恐怖でもなかったのです。彼には死への恐怖も十字架で受ける苦しみや侮蔑への恐れも、全くありませんでした。 この少年の中に息づいていたのは、キリストともに生き、キリストのために死ぬことのできる喜びだったのです。
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九  ルドビゴ茨木3

 そして誰よりも早く西坂の丘に着くと、そこで彼らが殉教するためにつけられる十字架を作っていた役人に聞きました。「私のつく十字架はどれですか」と。役人は彼に目をやり、彼が一番小さい少年だということに気づくと「お前のかかる十字架は、ほらあそこにある一番ちいさいあの十字架だ」と26本の中で一番小さな十字架を指差したのです。 ルドビゴ少年は、その役人に笑顔を返し、その指差された一番小さな十字架に喜びながら駆け寄り、力いっぱいその十字架を抱きしめると、思わずも十字架にほおずりし,そして十字架に口づけしたのです。                 
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2018年06月11日

九  ルドビゴ茨木3

 佐賀の唐津、山本の村で神を選んだルドビゴ茨木少年。 12歳の最年少であった彼を、何とか助けたいと思った寺沢半三郎も、彼のキリストへの愛と信仰を聞いて、もう何も言わなくなりました。 26人の殉教への旅は続きます。そしていよいよ、彼らが十字架にかけられて殺され殉教する西坂の丘が近づいてきました。 その時、最年少のルドビゴ茨木少年が、小走りに走り出したのです。 当時、西坂の丘は、長崎で最も小高い丘だったようです。今でもそうですが、遠足でどんなに疲れていても、頂上が見えると急に元気になって走り出す子供のように、ルドビゴ茨木少年も、西坂の丘が見えると、急に元気になって、その丘を駆け上がったのです。





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2018年06月10日

九  ルドビゴ茨木3

「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい」(マルコの福音書8章34節)

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九  ルドビゴ茨木3

「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい」(マルコの福音書8章34節)

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2018年06月09日

八  ルドビゴ茨木2

西坂の丘で

 ルドビゴ少年は刑場である西坂の丘に着いたとき、自分が処刑されるために用意された十字架に走り寄り、それを抱きしめて、ほおずりし口づけしたと言われています。 そして、その十字架の上にかけられたとき、隣の十字架にかけられていた13歳のアントニオ少年とともに、高らかに詩篇113篇を賛美したのです。「子らよ。主をほめたたえまつれ」と。  (新改訳聖書では「主のしもべたちよ」となっています)
                            













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2018年06月08日

八  ルドビゴ茨木2

 この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。だからこそ、彼は地上のどんな誘惑にも、動じなかったのでしょう。ごちそうにも衣服にも、長寿や、大名という権力や肩書にも彼は動じませんでした。この少年は、確信していたのです。天国の報いが、確かであることを。 そして、キリストがともにいることの素晴らしさの中に、命の中に、生きていたのです。だからそれを失うことなど、考えられなかったのでしょう。
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2018年06月07日

八  ルドビゴ茨木2

 山本の村を流れている川の堤防に腰掛けながら、天を見上げて祈っていると、深い神さまの御臨在が、いつも注がれてきます。 人生の大きな選択の時に、この山本村で静まっていると、かって神さまを選んだルドビゴ少年の声が聞こえてくるような錯覚に陥ります。 そして主がすぐそばに来て、私に触れ、み言葉をもって語りかけてくださるのです。「永遠に価値あるもののために生きなさい」と。 この12歳のいたいけな少年は、朽ちることのない天に目を向けていたのです。彼は、天がどれほど確かな報いであるかを、知っていたのです。
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2018年06月06日

八 ルドビゴ茨木2

 かって日本には、このような12歳の少年がいました。キリストを愛するあまり、命をも惜しまず、どんな権力をもっている人にも屈せず、この地上でのぜいたくにも目もくれず、永遠の天の御国をまっすぐに見ながら、命をかけて福音を宣べ伝え続けた少年がいたのです。それが12歳のルドビゴ茨木少年だったのです。 この少年に見つめられて、福音を語られた寺沢半三郎は、返す言葉もなく。彼の目をルドビゴ少年からそらしたのです。 私は何度か、ある時は一人で、ある時は夫婦で、ルドビゴ少年が神を選んだ山本の村へ、足を運びました。
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2018年06月05日

八  ルドビゴ茨木2

「命を救おうと思うものはそれを失い、私と福音とのために命を失うものはそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。自分の命を買い戻すために、人いったい何を差し出すことができるでしょう」(マルコの福音書8章35〜37節)

 唐津の山本村で「私の養子になれ」という寺沢半三郎の誘いを断って、西坂の丘で十字架につけられて、殉教することを選んだルドビゴ茨木。 しかし寺沢半三郎は、このいたいけな12歳の少年の命を何とかして助けたいと思って 何度も何度も、いろんな言い方で彼に「養子になれ。俺の小姓になれ」と語りかけ誘ったのです。その度重なる誘いを「キリストを捨て、永遠の命をつかの間の命と変えることはできません」と、はっきりルドビゴ少年は断りました。 いやそれどころか、むしろ「お奉行さまこそ、キリストを信じて私と一緒にパライソである天国へ参りましょう」と詰め寄り、寺沢半三郎の目をしっかりと見つめて、福音を宣べ伝えたのです。
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2018年06月04日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年

 ルドビゴ少年は、再び半三郎の目をしっかり見て、こう言いました。「そうしてまで、私は生き延びたいとは思いませぬ。なぜなら、終わりのなき永遠の命を、たちまち滅びるつかの間の肉体の命とは代えられないからです。 お奉行さま。あなたの方こそ、キリシタンにおなりになり、これから私が参りますパライソにおいでなさるのが、ずっと良いことです。 あなたもキリストを信じて、私と一緒に天国に参りましょう」 半三郎は、返す言葉もなく重くまぶたを下ろし、瞳を閉じたのです。
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2018年06月03日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年


 ありがとうございます。それでは養子にさせて頂きまする。ただ一つだけお願いがあります。キリシタンとして、今のままの信仰を持ち続けられるならば・・・」半三郎は、最後まで聞かずに言いました「キリシタンを捨てることが条件だぞ。それ以外の事は何でも許してやろう。大目に見るしかし今のままの信仰ではだめだ」 ルドビゴは半三郎をしっかりみて、ニコニコしながら天を指して言いました。「この地上で大名として取り立てられるよりも、神さまのもとで小姓として仕えとうございます。お奉行様も、どうぞキリシタンにおなりなさいませ。そして、ご一緒にパライソである天国へ参りましょう」 あまりにも意外な少年の決断ある返事に、半三郎は胸を打たれました。しかし、ますます何とかして助けたいとと思った半三郎は、さらに、こう言ったのです。「ルドビゴ。今のままの信仰ではだめだ。信者をやめておれの養子になれば、あと50年は生きられるぞ。おいしいものも食べられる。きれいな服も着られる。そのうえ、刀を差して武士になり、大名にもなれるぞ」 ルドビゴ少年は、再び半三郎の目をしっかり見て、こう言いました。
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2018年06月02日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年

 そしてもう一つが、3人の無邪気な少年を処刑しなければならないことだったのです。とりわけ、その3人の中でも、特に元気で、いたいけな最年少のルドビゴ少年を処刑しなければならないと思うと、彼の心は暗く重たくなりました。 彼は考えました。秀吉から受けた命令の24人より2人多く囚人がいる。ルドビゴ一人を放免することは、できないことではない。 そこで何とかして、このルドビゴ少年を助けようと、彼はするのです。彼はルドビゴ少年に言いました。「お前の命は、私の手の平の中にある。もし私に仕える気があれば、お前を助けてつかわそうぞ。私の養子になれ。お前を助けて私の小姓にしてやろう」 ルドビゴ少年は「私はペトロ・バプチスタ神父(26人のリーダー)に従いまする」と答えました。それを聞いたペトロ・バプチスタ神父は「キリシタンとしての生活が許されるなら、何も死に急ぐことはない。喜んでそれに従いなされ」と言いました。それでルドビゴ少年は半三郎に答えました。
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2018年06月01日

七  ルドビゴ茨木1

ルドビゴ少年

2月1日、26人は、博多から唐津へに旅を続け、唐津湾に遠からぬ村の山本で、処刑の執行責任者である寺沢半三郎に引き渡されます。寺澤半三郎は、唐津城主で長崎奉行の寺沢志摩守広高の弟で、死刑執行人の代理者だったのです。半三郎は、24人の名簿と囚人を照合して、彼らを受け取ります。この時彼の心は、二つの事で傷み暗い気持ちになります。 一つは囚人の中に旧友のパウロ三木がいたことでした。 
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2018年05月31日

七  ルドビゴ茨木1

 西坂の丘で処刑された日本二十六聖人、その26人の中に、3人の少年がいました。彼らはとても無邪気な少年たちでした。長崎までの難渋を極めた道を、このいたいけな3人の少年たちが、26人の心をずいぶん和ませたのでした。 父ミカエル小崎と共に殉教者に選ばれ、西坂の丘の上で十字架に付けられ殺された15歳の少年トマス小崎 長崎生まれの13歳の少年アントニオ。彼は中国人の父と日本人の女性の間に生まれました。イエズス会の学校で教育を受け、伝道者になるために訓練の真っ最中でした。 そして最年少の12歳であったルドビゴ茨木。終わり出身の彼は、おじのパウロ茨木、レオン烏丸とともに西坂の丘で殉教します.
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2018年05月30日

七  ルドビゴ茨木1

「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのために命を失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、何の得がありましょう。自分の命を買い戻すために、人は、いったい何を差し出すことができるでしょう」
    (マルコの福音書8章35〜37節)
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2018年05月29日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

ルドビゴ少年

 確かに長崎までの道中、彼らの心は喜んでいました。しかし肉体の疲労は相当なものでした。その彼らの疲労は相当なものでした。その彼らの苦しみを和らげ、大きな慰めとなったのが、いつも明るくて元気のいいルドビゴ茨木でした。 二十六聖人の中には3人の少年がいましたが、このルドビゴ茨木少年は、26人の中のさいねんしょうで12歳でした。彼は、生来利発な少年ではありませんでしたが、いつも明るく朗らかで、とてもとても元気のいい少年だったのです。 彼の存在は26人にとって、とても大きな励ましであり、慰めであったようです。 彼のことについて、次の章で、書きたいと思います。
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2018年05月28日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

2人が選び26人に

26人の殉教者たちは、あるところは陸路で、そしてあるところは海路で、大阪から長崎までの800キロにわたる長い旅を続けたのです。 一年で最も寒いと思われる真冬のさなかに、ほとんどの道を、徒歩で旅を続けました。姫路、赤穂、岡山、三原、下関と道はぬかるみ、旅は非常な難渋を極めました。 しかし彼らの顔は、輝いていました。 長崎で、主イエス様と同じ十字架につけられて殉教できることを、とても喜んでいました。彼らは殉教者に選ばれたことを、心から感謝しながら,天国への希望に燃えて、その旅を続けていたのです。彼らは知っていました。主がともにいることの喜びと素晴らしさを、その喜びをかみしめながら、十字架にかかる長崎までの道を、歩いたのです。
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2018年05月27日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

2人が選び26人に

この二人は24人を護送する護衛の役人たちに、自分たちも殉教者の仲間に加えてほしいと、繰り返し、繰り返し、しっこく願ったといわれています。役人たちはその姿に、ほとほとあきれ果て、ついにこの2人にも縄をかけたと思われます。 また役人たちも、彼らの持っていた財布の路銀に目を付けたのかもしれません。いずれにしても、彼らは喜んで持っていた路銀を差し出し、自ら進んで縄を受け、殉教の恵みの中に加わり、彼らは26人となりました。 この2人も自分から進んで「殉教」という十字架を、喜んで選んだのでした。 それは、彼ら自身の「選び」だったのです。 どこで2人が加わったのかは、はっきりしませんが、彼らが下関に着いた時には、殉教者たちは26人になっていました。
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2018年05月26日

六  選び3−ペテロ助四郎とフランシスコ吉

「招待される者は多いが、、選ばれる者は少ないのです」(マタイの福音書22章14節)
京都と大阪で捕らえられた24人は、戻り橋を渡り、長崎への殉教の旅が始まります。その道中で2人が加わり26人となります。 その2人のうちの1人は、青年のペトロ助四郎でした。彼は、京都にいたオルガンティの神父が、3人のイエズス会士の世話のためにと付き添わせたのです。彼は道中での必需品を差し入れるための路銀を携えていましたが、我が身も顧みずに奉仕に努めていました。 もう一人は、京都のフランシスコ会士のもとにいた伊勢の大工であったフランシスコ吉です。彼はフランシスコ会士をはじめ、24人の殉教者たちが、京都、大阪、堺の町々を引き回されたときから、長崎に護送される道中の間もずっと、彼らの事を慕い続けて、身の回りの世話をし続けたのです。



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2018年05月25日

五  選び2−「戻り橋」

「戻り橋」
彼らは戻らず渡ったのです。そして、彼らの天国への殉教の旅が始まったのです。彼らにとって、主とともにいる喜びがあまりにも大きかったので、それを失うことの方が、この地上で受ける肉体への苦痛よりも、つらかったのでしょう。殉教者として主が選んでくださった、この素晴らしい恵みを捨ててしまうことなど、彼らには考えることはできなかったのでしょう。確かに、主は彼らとともにおられたのです。そして、その共にいてくださる主を、彼らは選んだのです。それは彼らにとって、当たり前の選択だったのです。  私も結婚してすぐに、妻と共にこの「戻り橋」に行きました。そして二人でこの橋を渡ったのです。それは、私たち夫婦の神様への信仰告白でした。「神様が与えてくださった召しを選んでいきます。この素晴らしい選びを捨てて、もう決して戻ることはしません」という私たちの主への告白だったのです。
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2018年05月24日

五  選び2−「戻り橋」

「戻り橋」
1月3日、上京一条の辻に24人は連れ出され、そこで左の耳たぶをそがれます。 実はこの時、彼らには、殉教から逃れることができる機会がありました。上京一条の辻に橋があります。その橋を渡る前に、役人たちは24人に向かって言いました。「もしここで、この橋を渡らずに、お前たちが信仰を捨てるなら、耳そぎはもちろん、処刑も免除される。そしてお前たちは全員、許されるのだ。 でも、もしあくまで信仰を捨てないのなら、この橋を渡るその時、そこから、お前たちの死への旅が始まるのだぞ」そう言って彼らを脅したのです。しかし、彼らはその橋を渡りました。喜んでその橋を渡ったのです。そして彼らは耳をそがれ、京都、大阪、堺と町々を引き回されることになりました。彼らは殉教することを、天国への旅を、選んだのです。 この橋は「戻り橋」と呼ばれています。彼らは、この「戻り橋」を戻りませんでした。



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posted by 日本教会史 at 03:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする