2019年03月20日

三  序章3−エンディングストーリー

しかし日本においては二十六聖人以来、これほど多くの殉教者を出しながら、いまだにリバイバルを見ていません。殉教者たちの血の報いと祈りの答えである魂の大収穫、リバイバルは、まだ日本には訪れていないのです。主の特別な計画が日本にはきっとあることでしょう。
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2019年03月19日

三  序章3−エンディングストーリー

世界中で、今もキリストのゆえに殉教している人々は数多くいます。キリストが十字架で私たちの罪を贖い、復活されて救いを完成してくださった時から、現代に至るまで、キリスト教は迫害と殉教の歴史とともに成長し発展してきたと言っても過言ではないでしょう。多くの殉教者たちの血と祈りの上に、いつも大きなリバイバルが訪れ、そしてその国や地域は、キリストに捕らえられ、変えられてきたのです。
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2019年03月18日

三  序章3−エンディングストーリー

キリストを愛して命をささげていった日本二十六聖人,そして彼らに続いて殉教していった数多くの殉教者たち。私たち今から彼らの足跡をたどり,彼らから多くのことを学びたいと思います。しかし、それは単なる歴史の勉強をしようとしているのではありません。
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2019年03月17日

二  序章2

真にボーン・アゲインしたクリスチャンならば、初詣でには行かず、教会の元旦礼拝に行くはずです。七五三の時も、車を買った時も、厄年の時も、神社に行ってお祓いなどはしないでしょう。天に帰る時が来て、召されたならば、もちろんキリスト教式で葬儀をし、法事などはするわけがありません。そうすると、神社もお寺も収入が大幅に減ってしまいます。リバイバルが起こって、真のクリスチャンが爆発的に増えたなら、お寺や神社は当然、今までのようには、お金が入ってこなくなります。そのとき彼らは決して黙ってはいないでしょう。必ず、大義名分を言いながら、迫害が始まってくることでしょう。国家的なレベルでの迫害が、再び日本で起こらないとは、誰も断言できないのです。私はこれから日本最初の殉教者である「日本二十六聖人」の足跡を読者の皆さんとともにたどりながら、過去に起こった殉教の歴史を、学びたいと思っているのではありません。この終末の兆候を示し始めている現代という時代を生きている私たちが、来るべきキリストの再臨の時に備えて、真にキリストを愛し、キリストの
いのちの中を生きるために必要なことを、彼らの殉教への歩みを通して、共に主から教えられたいのです。
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2019年03月15日

二  序章2

いやむしろ、殉教者の数においても、殉教の内容、つまり殺され方や迫害や拷問のされ方においても、世界有数の殉教国といえるのです。日本で殉教した人の数は、少なく見積もって30万人はいます。多く言う方は100万人を超えると言います。日本は確かに、キリスト教には、寛容ではありませんでした。今はクリスチャンの数が少なく、社会的な力も経済力も影響力もないので、命にかかわるような迫害はありませんが、やがてこの国にリバイバルが訪れ、大群衆をなして人々が教会の礼拝に殺到し、何千万もの人々がボーン・アゲイン(新世)をして真のクリスチャンになったならば、必ず迫害が再び始まって来るでしょう。
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2019年03月13日

二  序章2

とはいえ、日本もずいぶん以前に比べれば、治安が悪くなってきました。危険があちこちに転がっています。天災・人災を通して、たくさんの人が一時に亡くなってしまう大量死の時代がやってきたような気がします。しかし、それでもやはりキリストを信じているから殺されるということは、まだピンと来ないのではないでしょうか。しかし日本の歴史を調べると、この国は、キリストを信じる者たちに対して決して寛容な国で
はなかったことが分かります。
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2019年03月12日

二  序章2

私も、実を言うと、初めは「殉教」という言葉を聞いても、あまり現実味を感じませんでした。しかし、今私が属している教会に導かれ、そこで説教や預言を通して「殉教」とゆうことが、自分自身にもかかわる問題として迫ってきたのです。確かに日本にいると、先ほども書きましたが、殉教というのわは何か遠いことにのように思えてきます。それだけ日本が平和だということでしょうか。
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2019年03月11日

一 序章1

日本のクリスチャンは、ほとんど海外に宣教のために出て行ってはいないのです。ですから「殉教」ということを聞くと、何か極端で現実味のない話のようにしか聞こえないのでしょう。しかし、もし私たちが本気で主の命令である大宣教命令に応答し、世界宣教・海外宣教に取り組んでいくならば「殉教」ということは、極端な話ではなく、宣教といつも隣り合わせにあるということに気づくことでしょう。
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2019年03月10日

一 序章1

私は主の恵みによって今まで35カ国以上の国を訪れる機会がありました。アジア・アフリカ・ヨーロッパ・北米・中南米等豊かな国も貧しい国にもいきました。そして知ったのです。どこに行っても日本人はいます。商社マンをはじめとするビジネスマン、そして観光客、いろんな団体グループが来ています。時には個人の旅行者もいますが、どこに行っても日本人に会います。しかし出会わない日本人がいるのです。それはクリスチャンです。クリスチャンのグループとはイスラエルやアメリカなどで少し会うぐらいだけなのです。
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2019年03月09日

一  序章1

現代は、殉教者が今までで一番多い時代といえるのです。それにもかかわらず、日本にいると、それが何か遠い話のように感じてしまいます。それは私たち日本のクリスチャンが、余りにも世界に宣教のために出て行っていないからなのです。

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2019年03月05日

一  序章1

殉教というと、今の日本では何か極端な話のけんぽうでhように聞こえるかもしれません。確かに日
本では信教の自由は憲法で保障されていますし、実際、キリスト教を信じたからと言って身に危険を感じたり、命を失ったりということは、今の日本では、まずないことでしょう。しかし、それだからと言って今はもう殉教の時代ではないのかというと、そうではないのです。私たちの目を世界に向けるならば、20世紀は歴史上、最も多くのクリスチャンが殺された世紀でした。そしてその勢いは、21世紀に入っても衰えるどころか、ますます激しくなってきています。
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2019年03月04日

一 序章1

1597年2月5日、日本で初めての殉教がありました。今から400年以上も前のことです。時の権力者太閤秀吉によって、24人のキリシタンたちが、大阪・京都・で捕らえられました。彼らは、ひと月以上かけて長崎まで連れてこられて、西坂という丘の上で十字架につけられて殺されたのです。24人の身の回りの世話をするために、一緒に付き人としてついてきていた2人も途中で殉教者の中に加わり、西坂の丘で殉教した時は26人になっていました。彼らは、「日本二十六聖人」と呼ばれています。
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あとがき

そのことを、かっての浦上の人たちは知っていました。しかし今、かって浦上の人たちが命をかけて守り続けたもの。「キリストへの信仰」それはどこにあるのでしょうか。時代は終末の様相を示してきています。今こそ私たちは目を覚まして、キリストへの信仰を取り戻しキリストと共に神様の用意された本当の祝福の道を歩むべき時なのです。
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2019年03月03日

あとがき

イエス・キリスト、は何一つ罪を犯されませんでした。しかし私たちが自分で、どうすることもできない罪と、弱さと、その結果、もたらされるすべての呪(のろ)いと病気を、イエス・キリストは、ご自分の身に負って、私たちの身代わりになって十字架で死んでくださったのです。そして十字架で死ぬ直前に、こう言われました。「完了した」と。罪の代価はすべて払われました、私たちは、ただ自分の罪を悔い改めてイエス・キリストの十字架を信じるだけで、その時新しく生まれ変わることができるのです。
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2019年03月02日

あとがき

なぜ彼らは何代にもわたって命をかけてまで、イエス・キリストへの信仰を、守り通したのでしょうか。それはイエス・キリストが命をかけて、私たちを愛して下さったからです。教会に行くと必ずあるもの、それは十字架です。この十字架でイエス・キリストはご自分の命を捨ててまで、私たちへの愛を示されたのです。
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2019年03月01日

あとがき

「ウラカミ・ウラカミ」そう叫ぶ人々の声が、ベルギーのブルッセルでこだましました。今から130年ほど昔のことです。そして、このさけびが250年間禁止されていたキリスト教を、この日本の国で自由にしたのです。「ウラカミ」彼らが叫んだのは、まぎれもなくこの本を書いた浦
上のことです。この浦上には命をかけてキリストを信じ続けた人々がいました。江戸時代の迫害下にあっても隠れキリシタンとして信仰を守り続け、信仰が自由になる日を、信じて待ち続けた多人々が、この浦上にはいたのです。
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2019年02月28日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに
 浦上の信者は、何とかしてこの敷地を手に入れようとして祈り、そしてついに、わずか1600円で買い取ったのです(当時は米10キロ44銭)かって絵踏みさせられて場所で、彼らはミサを行いました。主は彼らの涙を覚えておられ、迫害と殉教という火の試練を通した後に、彼らの悲しみを喜びに変えられたのです。主は真実なお方です。そして主は正しく裁いてくださる方です。浦上のキリシタンたちの歴史を見てきましたが、そこには、主を愛して従う者に対する主の真実を見ることができます。彼らは待たされました。しかし主は遅れることなく、ご自身の約束の時に、彼らを迫害から救い、助け出されました。主は決して裏切らない方、約束を守られるお方、真実なお方です。
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2019年02月26日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに
 この高谷家は、もともと浦上の庄屋で、キリシタンの召し捕りや吟味のあるごとに自ら手伝い、毎年正月には浦上の人々を召し出して絵踏みを実行していた家です。しかしキリシタン流配の処分を出した後、当主は死亡し、長男は懲戒のため高島炭鉱に送られている時、ガス爆発により死亡しています。その結果、未亡人はわずか12歳の病児を抱えて生計を立てるのに困り、ついに敷地から邸宅に至るまでの広大な土地と建物を残らず競売に出して、村を立ち退くことになったのです。
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四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに
 そこで浦上に仮聖堂を建てる計画を作り、まずは適当な場所を探しました。そこで、瓦ぶき平屋で、200人ぐらい収容できる離れ座敷を仮聖堂にあてました。しばらくは、ここに、大浦からポアリエ神父が通っていましたが、聖務が忙しくなると、ここに住み込んで奉仕されました。そして1880年、高谷庄屋屋敷跡を買い取って補修し、仮聖堂としました。
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2019年02月25日

四十五  浦上四番崩れ9−悲しみを喜びに

悲しみを喜びに
 「旅」から帰ってきた浦上のキリシタンたちには、切なる願いがありました。それは神の家、つまり聖堂を立てることでした。彼らは、ミサのために毎日曜日ごとに、大浦天主堂まで歩いて通わねばならなかったのです。彼らは、ミサのために毎日曜日ごとに大浦天主堂まで歩いて歩いて通わねばならなかったのです。彼らは、それでもうれしくてたまりませんでした。けれども、その日の糧を得るにも、きゅうきゅうとしていた信者たちにとって、それは時間的にも大きな困難でした。
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2019年02月24日

四十五  浦上4番崩れ9−悲しみを喜びに

試練を用いる主
 愛である方、主イエスへの彼女たちの持っていた信頼、この信仰が祈りと共に働いて、多くの痛んでいた小さな者たち(孤児や捨て子)を助ける主の救いの手として働く道へと導かれていくのです。私たちの人生の中にも、いろいろな試練が許されます。しかし試練が私たちを主から離すのではないということを、浦上のキリシタンの歴史を見るときに思わされます。むしろ試練は、私たちの信仰を練り清めて、私たちに主が用意されている道へと、私たちを導いてくれるのです。主は愛の方、そして最善以外、私たちに決してなさらないお方だからです。 
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2019年02月23日

四十五  浦上4番崩れ9−悲しみを喜びに

試練を用いる主
 250年にも及ぶ弾圧と迫害の後に、やっと6年間農民流配から解放されて信仰を守りの自由を得たと思った途端、赤痢、台風、天然痘という人間的に見れば 悲惨と思えることの連続の中で、彼女たちは、神を呪ったり恨んだりするのではなく、もちろん運命っだからと言ってあきらめるのではなく、むしろその中で、神が用意されていた最善の道を乱していったのです。
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2019年02月22日

四十四  浦上4番崩れ8−孤児院

孤児たちのための働き
子供を泣かすな」と言った弟の言葉を思い起こしながら マツやマキやほかの娘たちと相談して、孤児を育てることにしましたマキやマツたちは、孤児を養うことが天職と考えました。ド・ロ神父もこのことを聞くと、心の底から大喜びをして、フランスでの孤児院のやり方のまねて、具体的にいろいろと教え、経済的な助けもしました。マキたちの共同生活は、初めからただの休憩所ではありませんでしたが、こうしてやがて「十字会」と名付けられて淳修道会となります。
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2019年02月21日

四十四  浦上四番崩れ8−孤児院

孤児のための働き
 守山マツは津和野に流されていた時、殉教していった弟の裕次郎が臨終する時に言い残していった言葉を忘れることがありませんでした。裕次郎は姉のマツに手当てをして貰いながら,兄の勘三郎のてを握って、最後に、こう言って天に帰ってきたいったのです。「おら、もうじき天主さまから召される如(ごと)ある。兄と姉は生き永らえて浦上に帰れるごと思われるばい。その時にはキリシタン法度の高札は取られ、大声で祈りができるに違いなか。浦上に帰れたら、一人は結婚してその子の一人ば神父様にしてくれろ、やっぱり教理をよう知っとらんと、信仰も弱かけん。子どもば泣かせなさんな。こどもばかわいがってくれよ・・・」
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2019年02月20日

四十四  浦上四番崩れ8−孤児院

孤児のための働き

天然痘の看護も収まって、浦上に帰ってきたマキの腕の中に、一人の赤ん坊が抱かれていました。名はタケと言います。天然痘で両親が死んだ孤児でした。それまで影の尾島にあった「孤児院」が閉鎖されたので連れてきたのです。孤児は、タケだけではありませんでした。当時、日本では各地で捨て子が多くいました。長崎でも相次ぐ災難で、孤児や捨て子は、次々に出ていました。
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