2019年09月18日

三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、命の冠を受けるからです」(ヤコブの手紙1章12節)
崩れ
キリシタンの潜伏時代には、たびたび切支丹の検挙事件が起こりました。幕府や奉行所は、隠れキリシタンの事を密告した者には「嘱託銀(しょくたくぎん)」という賞金を出していましたが、これがかなり高額だったようです。その結果、この嘱託銀の賞金欲しさに密告する、いわゆるユダによるものが多かったようです。
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二十九  キリシタンの潜伏1−浦上のキリシタン

そして徳川へと時代は移り、1614年、徳川家康は禁教令をだし、すべての宣教師は追放されることになりました。そして250年にわたる禁教と弾圧、迫害と殉教、キリシタンの潜伏時代へと入るのです。
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2019年09月17日

二十九  キリシタンの潜伏1−浦上のキリシタン

浦上キリシタン

1567年ごろから長崎にキリスト教が伝えられ、浦上にも布教が始まりました。浦上の人々は救われ、キリシタンとなっていきました。そして1584年有馬晴信がイエズス会の知行地として浦上を寄進したことによって、浦上は名実ともにキリシタンの村となります。しかし1587年に秀吉が伴天連(ばてれん)(宣教師)追放令を出し、翌1588年には、浦上は長崎とともに直轄領となります。
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2019年09月16日

二十九  キリシタンの潜伏1−浦上のキリシタン

しかし、その信仰の自由を勝ち取るためには、彼らは再び激しい迫害と殉教の死を通らなければなりませんでした。これからしばらくの間、この浦上のキリシタンたちに目を留めて書いていきたいと思います。
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2019年09月15日

二十九  キリシタンの潜伏1−浦上のキリシタン

潜伏して信仰を守り通したキリシタン

 しかしそのような中で、長崎の浦上には地下に潜伏したキリシタンたちがいたのです。彼らは帳方(ちようかた)・水方(みずかた)・聞役(ききやく)という地下組織を作って、なんと250年間、信仰を継承し守り通したのです。彼らは、この国、日本で再びキリストを信じる信仰を公にすることができるようになる日まで、7代にわたって信仰を継承し命をかけて守ったのです。
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2019年09月14日

二十九  キリシタンの潜伏1−浦上のキリシタン

幕府は奉行にあらゆる方法でキリシタンを見つけ出させ、彼らを殺すのではなく、転ばせて信仰を捨てさせるために拷問を加えたのです。しかし、それでもどうしても転ばない者に関しては、その上にとても残酷な方法で殺していきました。このような中で、日本に命がけで来ていた宣教師たちも、ついには捕らえられて、ある者は追放され、ある者たちはころされていきました。そしてもはやキリシタンはいないと思われるまで徹底した弾圧がなされていったのです。
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2019年09月11日

二十九  キリシタンの潜伏1−浦上のキリシタン

まことに、まことに、あなた方に告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」」(ヨハネの福音書12章24節

二十六聖人以後のキリシタン
1597年2月5日、長崎の西坂の丘で二十六聖人が殉教した後、多くの人々がキリストの名のゆえに捕らえられ、殉教していきました。二十六聖人が殉教した翌1598年に、彼らに死を宣告した秀吉が死にます。そして時代は徳川の江戸幕府へと移り、日本は鎖国することになるのです。その結果、キリスト教は、やがて全面的に禁止され、非常に厳しい迫害と弾圧が始まってきます。
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2019年09月10日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

そしてさらに主は、私に迫ってこられるのです。「真にへりくだって、自分を捨てて、自分の十字架を負って、私についてくる者たちに、彼らのバトンは受け継がれ、その者たちを通して、応えは必ずやって来る、リバイバルは必ず、まもなくやってくる」と。ここまで、日本二十六聖人についてかいてきましたが、この章で終わります。次の章からは、その後の殉教者について、特に、浦上四番崩れの事を中心に書いていきます。
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2019年09月09日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

西坂の丘に立つと、今も喜びが注がれてきます。天の御国から注がれてくる喜びが。その丘に立って祈るたびに、主は私に 語ってこられます「彼らが示した私への愛と従順、彼らが負った十字架、彼らの祈りと願い、それらは、決して忘れられてはいない。その応えが、この時代に必ずやって来る」と。
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2019年09月08日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

時の権力者、太閤秀吉。彼は長崎にいる多くの切支丹たちの信仰を捨てさせるために、彼らへの見せしめとして26人を長崎まで連れてきて処刑したのです。けれども結果は、秀吉の思惑とはは、全く逆になったのです。二十六聖人たちは、信じていました。必ず主は、この殉教の血に報いてくださると、自分たちの殉教の死は、決して無駄になることなく、一粒の麦として、のちの日に、豊かな実を結ぶのだと。
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2019年09月07日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

二十六聖人の殉教を見ていた見物人たちはの中のクリスチャンはもとより、信仰のはっきりしていなかった人々や、キリストを信じていなかった人までもが、改心し代官所に詰め掛けて、自分もクリスチャンだから殺してくれと言って、人々が殺到してきたと言われています。そしてこの後、彼らは殉教していきました。
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2019年09月06日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

当時の人々は、死を頻繁に見ていました。しかし、こんなに喜びと希望に満ちた死を見たことはありませんでした。いつも呪いと恨みと後悔の中で、人は死んでいったのです。ですから当時の人たちにとって、この26人の殉教者たちの死は、驚きと感動と羨望(せんぼう)であったのです。
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2019年09月05日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

リバイバル
日本二十六聖人、彼らは自分の十字架をしっかり受け取り、喜んで西坂の丘で殉教していきました。彼らは、最後まで福音宣教に生き、西坂の丘で十字架につけられて殉教したのです。西坂の丘に集まっていた4000人ともいわれている見物人たちは、この26人の殉教の姿に感動し、長崎に小さなリバイバルが起こります。
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2019年09月04日

二十八  十字架を負って4ー応えは必ずやって来る

キリストのそばに置かれた12弟子たちが、キリストと聖霊によって造り変えられていったように、26人の殉教者たちも、この殉教への道の中で、神により近づけられ、変えられていったのでしょう。長崎への道の途中で、殉教者に加えられたペトロ助四郎やフランシスコ吉、それに日本に来てわずか数カ月で捕らえられ、殉教者の中に入れられたフェリペを見ていると、そんな風に、私には思えてくるのです。
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2019年09月02日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

その道のりの中で、彼らは今までなかったほどキリストに近づき、さらに十字架の深みへと導かれ、そして喜んで殉教していったのです。彼らに許された殉教という十字架を負うために、主はひと月の備えの時を、彼らに与えられたのです。
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2019年09月01日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

また彼らにとっては、京都で捕らえられから、西坂の丘で殉教するまでの およそひと月の長崎への道のりは、十字架を負うことの恵みを、さらに深く知る恵みの時 となった事でしょう その道のりの中で、彼らは、今までなかったほどキリストに近づき、さらに十字架の深みへと導かれ、そして 喜んで殉教していったのです。  
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2019年08月31日

二十八  十字架を負って4−応えは必ずやって来る

「人若(も)し我に従(したが)はんと欲(ほつ)せば、己(おのれ)を捨て、十字架をとりて我(われ)に従(したご)ふべし」(マルコ伝8章34節)
十字架を負って
喜んで殉教していった26人の殉教者たち。彼らにとって、この殉教は、確かに十字架でした。しかし彼らは、この十字架を喜んで選び、負っていきました。なぜ、彼らには、それができたのでしょうか。おそらくそれは、彼らが、これまでの毎日の生活の中で、すでに日々、十字架を負って、生きていたからなのではないでしょうか。だからこそ、例えばマチヤスのように、自ら進んで同じ洗礼名を持つ別人に変わって、捕らえられることができたのでしょう。
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2019年08月30日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

たとえその結果、命を失うとしても、彼らは福音を語り、宣べ伝えることを、止めることなどは、考えられなかったのでしょう。異邦人伝道に召されていたパウロが「私の同胞のためには、呪(のろ)われた者となることさえ願いたい」と言った同じスピリットを、彼らも持っていたのです。
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2019年08月29日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

福音宣教

福音宣教。イエス・キリストの福音を宣べ伝える。これこそが、彼らの召し、だったのです。彼らは、この召し、福音宣教の中に生きていました。そして、この福音宣教という召しに忠実に生きた時に、殉教という十字架が、彼らの前に置かれたのです。彼らは、今まで、口を開きませんでした。どんなに妬(ねた)みから、ありもしない悪口雑言を言われても、彼らは黙して語りませんでした。しかし、イエス・キリストの福音に関する限り、イエス・キリストの証人として、彼らは口を閉ざすことは 出来なかったのです。
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2019年08月28日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

十字架にすがりついて「降りてきて」と叫ぶ両親に「喜んでください」と天国を語った13歳の少年アントニオ。彼も両親が救われて天国へ来ることを、心から願って信じていました。彼らの切なる願いは、人々がキリストを信じて救われ、神のもとに帰ってくることだったのです。彼らは、人々の魂を、最後の最後まで求め続けていました。
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2019年08月27日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

京都で捕らえられたから、十字架の上で最後にやりを受けるまで、キリストの福音を宣べ伝え続け、十字架の説教を止めなかったパウロ三木。彼は最後の最後まで魂を追い求めていました。19歳のヨハネ五島が、最後に父と語ったことは、魂の救いでした。15歳の少年トマス小崎は、父とともに殉教するために、引かれながら、2人の弟の救いために、母マルタに三原城から手紙を書きました。
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2019年08月26日

二十七  十字架を負って3−福音宣教

彼らは、この日本に、まだキリストを知らない者がいることに、耐えられなかったのです。そして、もう彼らに福音を伝えることができなくなると思うと、彼杵(そのぎ)で涙を流したペテロ・バプチスタ神父のように、泣かずにはいられなかったのです。
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二十七  十字架を負って3−福音宣教

己(おのれ)を捨てて、喜んで殉教していった26人。彼らはすでに、もう自分に死んでいました。しかし、そんな彼らにも、ただ一つの気掛かりがありました。それは、この地上に残される まだ救われていない魂のことでした。天に帰ることをことを心から喜びながら、まだ救われていない日本の人々の魂を考えると、彼らの心は、激しく痛んだのです。イエス・キリストを真に信じる者への迫害が始まった、この国の将来を思うと、彼らの心に憂いがやって来ました。それは、死に対する恐れや恐怖でも、この地上に対する執着や、家族と離れてしまうことへの悲しみでもありませんでした。
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2019年08月25日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

私たちが喜んで十字架を負えないのは、きっとまだ己を捨てて、自分に死んでいないからなのでしょう。己を捨ててしまうなら、御国の喜びが、十字架を負っているそのところに、今すぐにでも、やってくるのです。彼らは己を捨てて、喜んでいました。ただ一つのことだけを除いては・・・。
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2019年08月24日

二十六  十字架を負って2−己を捨て

京都で捕縛され、殉教者に選ばれてしまった時から、彼らの心は、ますますこの地上に対する執着や思い煩いから解き放たれて、天につなぎ合わされていったことでしょう。長崎で殉教するまでの ひと月の殉教への歩みの中で、彼らの肉体はとても弱くされ、痛みや苦しみが襲ってくることも、しばしばあったかもしれませんが、彼らの心は、天の御国の喜びに、ますます満たされて、キリストと福音とのために 殉教しなければならなくなったことを、本当に喜んでいたことでしょう。 ちょうど、キリストのみ名のために、辱められるに値するものとされたことを 喜んだ使徒たちのように。
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