2019年10月18日

三十四  キリシタンの復活1−大浦天主堂

実際に、1867年に始まった「浦上四番崩れ」と、それに続いてった大村領木場の三番崩れ、悲惨極まる五島崩れ、外海や伊王島、蔭の尾島、大山、善長谷などの離島へき地にまで及んだ残酷な迫害の中で、殉教する者たちも出ました。キリストへの信仰の自由を勝ち取るために、どうしても、このような厳しい季節を、忍びながら通過しなければならなかったのです。
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2019年10月17日

三十四  キリシタンの復活1−大浦天主堂

しかし、彼らが信じて待ち続けた、大声でキリシタンの歌を歌って歩ける喜びを得るためには、もうしばらくの時と、迫害と殉教という困難と試練が必要だったのです。この国が鎖国を解き、250年以上も続けたキリシタン弾圧と迫害を止めて、キリストを信じる信仰の自由を得るためには、再び殉教の血が、流されなければなりませんでした。
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2019年10月16日

三十四  キリシタンの復活1−大浦天主堂

7代250年間、バスチャンが残した予告預言を握って、コンヘソーロがやって来ることを信じていました。待ち続けた続けた浦上のキリシタンたち。その予告通りに、7代目に当たる幕末に黒船がやって来て、大浦天主堂が建ち、神父が来て、キリシタンの復活が起こるのです。
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2019年10月15日

三十三  キリシタンの潜伏5−バスチャンの4つの予告預言

また長崎港の近くに善長谷というカトリック信者の村がありました。ここはもともとは禅定谷と言いましたが、佐八という水方が引率して家族と2人の独身者が移住してきたのです。佐八は臨終の時、各戸の家頭を枕元に集め、諭して言いました。「やがて黒船に乗ってくる人と一つになれ」と。このように「7代たったらコンヘソーロがやってってくる」という預言の言葉は、潜伏しているキリシタンたちにとって、とても大きな希望となっていたのです。そして、その預言の通りに、7代目に当たる幕末に黒船がやって来、キリシタンの復活が起こるのです。
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2019年10月14日

三十三  キリシタンの潜伏5−バスチャンの4つの予告預言

外海の形右衛門
ところがある日、大きな黒船がやってきたと言って人々が騒いでいるのです。彼は小高い丘に登って、そのところを打ち眺めました。「これじゃ。これがバスチャンさまの預言の黒船じゃ。、じゃが、わしはコンヘソーロに会うて、コンヒサンを申すまでは生きておらぬ」そう言って、彼は涙をこぼしたのです。
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2019年10月13日

三十四  キリシタンの復活1−大浦天主堂

7代250年間、、バスチャンが残した予告預言を握って、コンヘソーロがやって来ることを信じて待ち続けていた浦上のキリシタンた
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三十三  キリシタンの潜伏5−バスチャンの4つの予告預言

外海の形右衛門
バスチャンから7代たった時に、長崎の外海というところに形右衛門という一人の老人がいました。彼は信仰篤(あつ)い人で、コンヘソーロ(神父)が来るのを、ずっと待っていました。彼は涙を流しながら、こう言っていたのです。「黒船の渡来も遠い事ではないぞ。コンヘソーロがやって来て、コンヒサンを聞き、罪科の赦しを頂ける日は近づいた。オラショも教えも大声でできるようになるぞ。牛肉も食べられる世にはなるが、それは金持ちや上つ方ばかりで、我々貧乏人の口には乗るまい。その日が近づいたというのに、このわしは何と不幸なんじゃ。コンヘソーロに会(お)うて、コンヒサンを申すこともできないで死んでしまう。しかし、お前ら若い者は、その時代を見ることができるのじゃ」
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2019年10月12日

三十三  キリシタンの潜伏5−バスチャンの4つの予告預言

バスチャンの4つの予告預言
バスチャンが残した4つの予告預言とは、次のようなものでした。
一、お前たちを7代までは、わが子とみなすが、それから後はアニマ(霊魂)の助かりが困難になる。
二、コンヘソーロ(告解を聞く神父)が大きな黒船でやってくる。毎週でもコンヒサン(告解)ができるようになる。
三、どこででも大声でキリシタンの歌を歌って歩ける時代が来る。
四、道でゼンチョ(ポルトガル語で教外者)に出会うと、先方が道を譲るようになる。
キリシタンたちは、この4つの預言の言葉を、心に大切に抱きながら、告解を聞いてくれる神父がやって来て、大声でオラショ(お祈り)することのできる日を、7代250年間、信じて待ち続けたのです。そして、預言が成就する日が、やってきたのです。
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2019年10月11日

三十三  キリシタンの潜伏5−バスチャンの4つの予告預言

信徒発見がされるまでの7代250年間、信仰を守り通した浦上のキリシタンたち。彼らが信仰を継承し、守り続けることができたのは、帳方・水方・聞役というしっかりとした地下組織と 日本人伝道士セバスチャンが残した「バスチャンの日繰り」があったからです。そして実は、もう一つとても大切なことがあります。 それは、バスチャンが残した4つの予告預言でした。
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2019年10月09日

三十二  キリシタンの潜伏4−バスチャンの日繰り

断食の祈りを通して
このバスチャンについての伝承が、どこまで信ビョウ性を持つものかは何とも言えませんが、確かに「バスチャンさまの日繰り」が今も残っており、それがキリシタンたちの信仰の継承にとって、どれほど大きな力であったかということは、決して否定することのできない事実なのです。そしてそれは、バスチャンの切なる断食を伴った祈りを通して、主が与えてくださったものだったのです。一人の伝道師の切なる祈りが、その後250年間続いた迫害の中で人々の信仰を支える力となりました。一人の真実な祈りは、主の心を動かし、その祈りの答えは、多くの人々の信仰をも引き上げ建て上げていったのです。確かに主は祈る人々を通して働いてくださり、祈りを通して、人々を祝福してくださるのです。実は、バスチャンが残したのは「日繰り」だけではありませんでした。彼も殉教者でしたが、処刑される前に、4つの事を預言し予告しました。そして人々は、この預言を大切に伝承していったのです。
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2019年10月07日

三十二  キリシタンの潜伏4−バスチャンの日繰り

ジワンとバスチャン
バスチャンは、ジワンという神父の弟子になって、ともに伝道していました。ところがある時、ジワンは突然、国に帰ると言って姿を消してしまったのです。バスチャンはすでに日繰りの繰り方を、ジワンから教えられてはいましたが、まだ十分には納得してはいませんでした。それで、彼は21日間断食をして「もう一度ジワンが帰って来て教えてください」と主に祈ったのです。すると、どこからかジワンが帰って来て教えてくれたのです。そしてバスチャンと別れの水杯をして、ジワンは海上を歩いて遠くへ去っていったと言われています。





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三十二  キリシタンの潜伏4−バスチャンの日繰り

この「日繰り」の存在は、長い迫害下の中で、浦上はもとより、外海・五島・長崎地方のキリシタンたちが、信仰を伝承しえた力の一つであったと言っても、決して過言ではありません。それほど大きな影響を与えた、この「日繰り」がどのようにしてできたかを、今回は書きたいと思います。
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2019年10月06日

三十二  キリシタンの潜伏4−バスチャンの日繰り

7代250年に間、地下に潜伏し、信仰を守り通した浦上のキリシタンたち。彼らが信仰を守り通すことができたのは、ひとつには帳方・水方・聞役という指導系統がしっかりしている地下組織を持っていたからでした。そしてもう一つが、本人伝道師バスチャンが残した「バスチャンさまの日繰り」と言われている1634年の太陽暦によるキリシタン暦です。この暦があったので受難週や復活祭、聖霊降臨日や降誕節などの日を繰り出すことができたのです。
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2019年10月05日

三十一  キリシタンの潜伏3−浦上の地下組織

長い迫害下の中で、浦上はもとより、外海・五島・長崎地方のキリシタンたちが、信仰を伝承しえた力の一つは、この「日繰り」であったと言っても、決して過言ではないのです。ではどのようにしてこの「日繰り」ができたのでしょうか。それについては、次章で書きたいと思います。
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2019年10月02日

三十一  キリシタンの潜伏3−浦上の地下組織

このような帳方・水方・聞役という指導系統が、できていたのです。250年に及ぶ長い間、一人の神父もいない中で、信者たちが信仰を伝え継承できたのは、一つには、この組織のゆえであったと言えるでしょう。そしてこのような地下組織は、浦上ばかりでなく、外海地方、五島、平戸、生月地方のキリシタンたちも持っていました。
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2019年10月01日

三十  キリシタンの潜伏3−浦上の地下組織

浦上の地下組織
彼らが、7代250年もの間、キリストへの信仰を守り通すことができたのには、2つの大きな理由があると思います。そのひとつは、彼らの作った「地下組織」でした。この地下組織は、次のような三役で構成されていました。
1、帳方(ちょうかた)・・・浦上に一人おり、バスチャンの日繰りを所持していて、1年の祝日や教会行事の日を繰り出す。また、祈りや教義などを伝承する。
2、水方(みずかた)・・・各郷(ごう)に一人おり、帳方から伝えられた祝日や祈り、教義を聞役(ききやく)に伝える。また洗礼を授けるのも、水方の役目でした。
3、聞役(ききやく)・・・各字(あざ)に一人おり、一戸一戸の信者を掌握していて、水方から伝えられたことを各人に流す。
このような帳方・水方・聞役という指導系統が、できていたのです。
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2019年09月26日

三十一  キリシタンの潜伏3−浦上の地下組織

「これらの人々はみな、信仰の人々して死にました。約束の物を手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(へブル人への手紙11章13節)
迫害と拷問の中で、地下に潜伏したキリシタンたち。浦上の信徒が発見されるまで、7代250年の間、彼らは信仰を守り通しました。何が彼らが信仰を保ち持ち続けることを、可能にしたのでしょうか。それについて、この章では、書いていきたいと思います。
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2019年09月25日

三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

主の真実と約束の成就を見る前に
キリシタンの復活である信徒発見が起こる直前に、大きな崩れが許されたのは、とても興味深いことです。250年、待ち続けた成就を見る前に、彼らは帳方を失い、水方も1人しか残らないという試練の中に置かれたのでした。しかも、その試練の中で、拷問のあまりの激しさに転んで仏教徒になるものも出たのです。しかしそのような中でも、最後まで信じて信仰を守り通した者たちは、この数年後に、主の真実と約束の成就を見ることになるのです。
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2019年09月24日

三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

1860年に事件は決着しますが、吉蔵は牢死、子の利八は所払いになり、初代孫右衛門から吉蔵まで7代続いた帳方は、その後置かれなくなり、1865年の信徒発見を迎えます。水方も4人のうち1人だけが生き残りました。
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2019年09月22日

三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

主の真実と約束の成就を見る前に

キリシタンの復活である信徒発見が起こる直前に大きな崩れが許されたのは、
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三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

1860年に事件は決着しますが、吉蔵は牢死、この利八は所払いになり、初代孫右衛門から吉蔵まで7代続いた帳方は、その後置かれなくなり、1865年の信徒発見を迎えます。
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三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

そして1856年「浦上3番崩れ」が起こります。これも密告によるものでした。最高指導者の帳方吉蔵をはじめ、多くの指導的人物が投獄され、非道な拷問を受けますこの時の拷問はあまりに厳しく、この時に転んで仏教徒になった者もかなりいるようです。
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2019年09月21日

三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

「浦上一番崩れ」は1790年に起こりました。最初に19人が捕らえられますが、いったん証拠不十分ということで、出牢放免になります。しかし2年後の92年に、再び9人の者が入牢させられます。そして紆余曲折を経て95年に、この事件は落着し、全員放免されます。「浦上一番崩れ」は1839年に転びキリシタンの密告により勃発(ぼっぱつ)しました。この時は、浦上キリシタンの秘密組織の最高指導者である 帳方の利五郎をはじめ村民の中心的指導者ばかりが捕らえられました。しかし、この時も結局は、全員釈放となります。
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2019年09月19日

三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

このようにして大量検挙されて潜伏組織が崩壊に瀕(ひん)してしまうことを「崩れ」と呼びます。「崩れ」は大村藩の郡崩れや豊後崩れ、そして美濃・尾張地方での濃尾崩れなど、各地で起こりました。
浦上においても潜伏していた250年の間には、何度かの崩れが起こりました。ここでは「浦上四番崩れ」のことについて詳しく書きたいと思いますので、それまでの三番崩れまでのことは、簡単に紹介するだけにしておきます。
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2019年09月18日

三十  キリシタンの潜伏2−崩れ

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、命の冠を受けるからです」(ヤコブの手紙1章12節)
崩れ
キリシタンの潜伏時代には、たびたび切支丹の検挙事件が起こりました。幕府や奉行所は、隠れキリシタンの事を密告した者には「嘱託銀(しょくたくぎん)」という賞金を出していましたが、これがかなり高額だったようです。その結果、この嘱託銀の賞金欲しさに密告する、いわゆるユダによるものが多かったようです。
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