2019年06月18日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

ゲッセマネ
26人の殉教者たちは、後ろ手に縛られたまま、居心地の悪い舟の中で、その夜を明かさねばなりませんでした。殉教者たちは、寒風が吹きすさぶ中、夜露にぬれながら、この夜は、ほとんど眠らないまま過ごしたようです。
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2019年06月17日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

ゲッセマネ
ところが、殉教たちが時津の岩壁に着いても、上陸は許されませんでした。時津は、キリシタンの町でした。護送役人たちは、キリシタンの人々が、殉教者を取り戻そうと暴動を起こしはしないかと恐れたのです。もちろん、そんな事をするわけはありませんが、護送役人たちは、自分たちの尺度で考えて恐れ、心配して、警戒して、上陸を許さなかったのです。
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2019年06月16日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

時津へ
26人の殉教者たちは、彼杵の港から3隻の舟にに乗せられて、時津へと向かいました2月4日、夕方の6時ごろだったと言われています。ペテロ・バプチスタ神父をはじめとする、6人の外国神父以外は全員、首に縄をかけられ、その縄で両手を後ろ手に縛られていました。そしてなんの覆いもない3隻の小舟の上に26人は分乗させられて、凍てつくような夜の海を対岸の時津までおくられたのです。彼杵を出た舟は、冷たい潮風にさらされながら、夜の11時ごろに時津に着きました。このとき、26人の殉教者たちは、彼らの地上での最後の夜を迎えようとしていたのです。
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2019年06月14日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

赦しと和解
その26人の殉教者たちは、峠を降りて彼杵(そのぎ)の港に着きました。そこで彼らは、イエズス会のヨハネ・ロドリゲス神父とパシオ神父に会うのです。実はイエズス会とフランシスコ会の間には、宣教の考え方や、やり方にずいぶん違いがありました。ともにイエス・キリストを宣べ伝えていきたいと強く願っていましたが、時として二つの会の間で意見が激しくぶつかり合うこともあったのです。それでこの時、ペテロ・バプチスタ神父はフランシスコ会を代表してイエズス会の神父である彼に、謝罪と和解を言いました。
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十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

赦しと和解
「私たちは間もなく、死出の旅路につきますが、今までイエズス会の神父の方々に、ずいぶんとご迷惑をかけたことと存じますが、どうか、その一切をお赦しください」と。するとそれに対して、ロドリゲス神父も、「私たちもまた、イエズス会の名において、フランシスコ会の方々に、あなたと同じ事をお願いし、おわびいたします」と語り、二人はお互いを赦し合って、そこで固く抱き締めあったのです。
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2019年06月13日

十六  時津へー殉教者たちのゲッセマネ

「供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい」(マタイの福音書5章24節)
殉教への旅の中で、最も険しい俵坂峠を越えたところで、日本の将来を思って涙を流したペテロ・バプチスタ神父。その涙の祈りの答えが私たちなのです。
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2019年06月12日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

宣教師魂ー魂への情熱
私は、ペテロ・バプチスタ神父が、日本の将来を思って、思わずも泣いてしまったのを見て深く感動しました。しかし、それにも増して、彼が流れていた涙を、まだキリストを知らない人につまづきを与えたくないと、止めたことに、もっと深い感動を覚えるのです。これはまさに宣教師魂、これぞまさに魂への情熱。私も彼が持っていたこのスピリットを、主から頂きたいと、心から祈らずにはいられません。
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2019年06月11日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

パウロ三木は、ペテロ・バプチスタ神父に頼みました。するとペテロ・バプチスタ神父は、それまで流していた涙を止めて、冷静さを取り戻したのです。まだキリストを知らない人に、つまづきを与えたくはないという思いが、彼の涙を止めたのです。
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2019年06月10日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

役人たちの誤解
しかし武士出身のパウロ三木が、この役人たちのささやき合っている声を、聞いたのです。彼はバプチスタ神父が、なぜ泣いているのか知っていたので、たまりかねて神父のところに近づき、神父に言いました。 「ペテロ・バプチスタ神父。役人たちや見物人たちが、あなたの涙を見て、死ぬのが怖いから、泣いているのだと全く曲解して、あなたのことを、ひきょう者とやじっています。私は、あなたが、なぜ泣いておられるのか分かります。でも彼らには、分からないのです。神父、どうか彼らには、涙を見せないでください。誤解されてしまいますから、どうか涙を見せないでください」
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2019年06月09日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

役人たちの誤解
ところが、ペテロ・バプチスタ神父のこの様子を、ニヤニヤ笑いながら遠くから眺めている人がいました。役人たちでした。役人たちは、部下にニヤニヤ笑いながら耳打ちしたのです。「見てごらん。珍しい神父の涙だ。あの高名なバテレンも、いよいよ死ぬ日が近づいたので、十字架にかかるのが恐ろしくて、泣いているわい」役人たちが意地の悪い皮肉笑いを浮かべながら、うわさし合っているのを、バプチスタ神父は知りませんでした。
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2019年06月08日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

もちろん彼が涙を流したのは、自分の命が惜しいからでも、死が怖いからでもありませんでした。彼が泣いたのは、この国、日本の将来を思って泣いたのでした。この国は一体この後、どうなっていくのだろう。迫害の嵐は、今、吹き始めたばかりで、もっと激しくなるだろう そうなると、この国の宣教は、どうなってしまうのだろう。この国の、まだキリストを知らない人たちは、どうして信じることができるだろう。クリスチャンも、信仰を持ち続けることが困難になるだろう。そう思うと、彼の目から、とめどなく涙がでてきたのです。
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2019年06月07日

十五  涙を止めたペテロ・バプチスタ神父

「バプチスマのヨハネの日 以来 今日まで、天の御国は 激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちが それを奪い取っています」(マタイの福音書11章12節)
26人の殉教者たちの殉教への旅の中で、最もつらく険しかった俵坂峠。しかし、その峠を越えた時、眼下に広がる美しい大村湾を見て、彼らは天国を思いながら深い喜びに包まれたのです。26日人がそこでしばらく休憩をしていた時、リーダーのペテロ・バプチスタ神父は、岩の上に腰を下ろしながら、思わずも涙が、ほおを伝って流れて来たのです。





















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2019年06月06日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

これから、この日本にも、大いなる魂の収穫と刈り取りが始まってくることでしょう。終末における大きなリバイバルがの働きが、訪れてきます。それは、彼らの命をかけた涙の祈りの答えであることを、忘れてはいけません。かってこの日本のために、国も、家族も捨てて、福音を携え宣教に来て、喜んで殉教していった人々がいたことを、私たちはしっかりと、心に刻んで覚えておくべきです。
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2019年06月05日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼らの祈りの答え
私は何度も、彼杵にいきました。そこに行くたびに、主は私に、静かに、でもはっきりと語ってこられます。「あなたは彼の涙の祈りの答えである」と。
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2019年06月04日

十四  ペトロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
死を前にして、殉教を前にして、自分のことや自分の母国のことも、そこにおいてきた家族のことも、この日本の宣教の働きのために、涙を流さずにはおれなかった宣教師(神父)が。日本に必ずリバイバルがやってきます。神はペテロ・バプチスタ神父の涙を覚えていらっしゃいます。彼の祈りを心に刻んでおられます。そして、その祈りの答えとして、私たちを用いてくださるのです。
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2019年06月03日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
彼が涙を流したのは、彼のほおをとめどなく涙が流れて止まらなかったのは、この国、そうです、私たちのこの国、日本のためだったのです。彼は私たちの国、この日本の将来を思って泣いたのです。日本のキリシタンたちがこれから通るであろう苦しみを思って泣いたのです。かって、日本にこのような宣教師(神父)がいたのです。
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2019年06月02日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
しばらく思いめぐらすうちに、ペテロ・バプチスタ神父の目から涙が、とめどなく流れてきたのです。「いま自分は、死地へ向かってすすんでいる。イエス・キリストを伝えたがために、自分は殺される。そのことは、この上もない喜びである。しかし、しかしこの国の宣教は始まったばかりなのに、それを受け継ぐ同僚までもが共に死んでいくのだ。この国の宣教の働きは、一体どうなってしまうのだろう。自分が全身をささげたこの働きが、ガラガラと崩壊していく」彼は自分のために泣いたのではありませんでした。自分の生まれ育った国や家族のために泣いたのでもありませんでした。
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2019年06月01日

十四  ペトロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

仲間たちと、ともにしてきた日本の宣教の老若男女の目から涙が、とめどなく流れてきたのです。「いま自分は、死地へ向って進んでいる。イエス・キリストを伝えたがために、自分は殺される。そのことは、この上もない喜びである。しかし、しかしこの国の宣教は始まったばかりなのに、それを受け継ぐ同僚までもが、共に死んでいくのだ。この国の宣教の働きは、いったいどうなってしまうのだろう。






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2019年05月31日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

彼杵の港
美しい穏やかな大村湾を眺めながら、低い声で一同は、今までの事をあれやこれやと話していました。そのとき、26人のリーダーのペテロ・バプチスタ神父は、みんなから少し離れたところにある岩の上に腰を下ろして、静かに黙想をしていました。彼は日本に来てからの筆舌に尽くしがたい3年間の苦難と戦いの事を、思い返していたのです。京都の病院に残してきた患者たちの食べるコメがないことが、殉教を前にしても、ふっと思い出されました。
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2019年05月29日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

しかし、その最も苦しい峠を越えた時、目の前にとても美しい大村湾が広がっていたのです、彼らはその美しさに感動を覚えながら、やがて帰っていく天国に思いをはせていました。その時、とても深い喜びが、彼らの心の奥底からわき上がってきたのです。大村湾を眼下に見ながら、彼らは峠を下り、彼杵の港にたどり着きました。2月4日、彼らが西坂の丘で殉教する前日の夕方のことでした。彼らは、ここから時津へ舟で連れられて行くのです。この彼杵の港で、しばしの休憩の時が待たれました。
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2019年05月28日

十四  ペテロ・バプチスタの涙ーこの国のリバイバルを願って

「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコの福音書8章34節)
26人の殉教者たちの殉教への旅は、終わりに近づいてきました。佐賀の山本村から、とても険しい俵坂峠を彼らは黙々と歩き続けました。すれ違う人もなく、彼らのひと月にわたる殉教へのへの旅の中で最も苦しい時だったと思います。
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2019年05月27日

十三  険しい峠ー俵坂峠

26人の殉教者たちは思いました。「地上でさえこのような苦しい登り道の峠のあとに、こんなに素晴らしい景色に出会うことができて、こうして慰めを与えられる。ましてこの殉教の旅を終えて天の家に帰る時、どんなに素晴らしい風景が私たちを待っていることだろう」そう思うと、彼らの内側から喜びと賛美が、再びわき上がってきたのです。
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2019年05月26日

十三  険しい峠ー俵坂峠

美しい風景 大村湾
その厳しくつらい俵坂峠を歩き、山を越えて、峠にたどり着いた時、目の前に大村湾が一望できました。眼下に広がるその大村湾の美しさに感動を覚えながら、そこで休憩をしました。この大村湾は、イスラエルのガリラヤ湖と、とても似ていて、まるで湖のようです。その素晴らしい景色を見ていると、それまでの疲れや苦しみが消えていくのを覚えました。
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2019年05月25日

十三  険しい峠ー俵坂峠

険しい峠
26人の殉教者たちもさすがに、これまでの長旅の疲れが出て来たようでした。もうまもなく殉教する長崎に入るという直前に、最も厳しいつらい道が待っていたのです。山本から彼杵までの道は、峠となっていました。それはそれは、とてもとても険しい峠道がつづくのです。この峠は、俵坂峠といいます。
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十三  険しい峠ー俵坂峠

その峠を歩いている間、ほとんど人とすれ違うことも、見かけることもなく、彼らは、ただひたすら黙々と静かに、その苦しい登り道を、歩いて進んでいったのおです。京都から歩きながら、説教をし続けていたパウロ三木も、通り過ぎる人もなく、険しい峠でただ息を切らしながら、説教もできずに黙々と歩き続けたのです。彼らにとって、この殉教への旅の中で最もつらく厳しい時でした。
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